2001年 台北

第1回 2001年6月30日〜7月3日


念願の台湾 6月30日(土)
繰り返しになりますが、私は中国が大好きである。
台湾の中国本土との政治的な対立は抜きにして、私にとってはやはり中国。
いつかは行ってみたい、と考えていました。
父が台湾に旅行に行ったのは今から30年も前のことだが、その時の様子を聞かされるたびに、
「私もいつか、きっと・・・」という思いに駆られるのでした・・・。

父の話しは「蒋介石の奥さん所有のホテルに宿泊し(圓山飯店)、連日食べ放題の肉料理・・・」
鳥、豚などは論外。牛、イノシシ、鹿、馬・・・の食材だったという。
食べたい肉を食べたいだけその場で豪快に焼いて、盛ってくれたという。
超豪華大名旅行。それもそのはず、当時好景気に湧く日本のご招待旅行だったのですから。
台北、花蓮にも行ってきた父が強く印象に残っているのは、台北にあるお寺だということでした。
(龍山寺のこと)「細工が見事なんだ」石を何重にもくり貫いて細工した柱があるというのだ。

またこんなことも言っていた。
もしかしたら韓国と混同してるのかもしれないが、掛け軸の製作所を見学しに行った時の事。
牡丹の絵を描いている若者がいた。
父の友人が「なんだ、せっかくの絵に水をこぼして・・・」とハンカチを取り出し拭こうとした。
父も、てっきり花びらや葉っぱに誤って水をこぼしたのだろうと拭いてあげようとしたと言う。
ところが、それは描かれた水滴だった、という・・・。
「凄いね・・・」
30年前の当時で2万円したというから安い買い物ではない。
が、「買っておくんだった」と父はいまだに悔しそうに言っている・・・。

このように父から聞かされた台湾の様子を、私は密かに温めていた。
それに、故宮博物院収蔵の‘真筆’への期待は年々高まるばかりだった。
私は若い頃書道が好きで、高校の3年間は部活(書道部)しに通ってたようなものだった。
その頃‘臨書’した孫過庭「書譜」、懐素「自叙帖」、蘇軾、顔真卿、といった中国古典の‘真筆’は
台湾の故宮博物院にある。・・・ある、というか蒋介石が北京の故宮から持ち去った。
・・・いや、戦火から避難させた・・・。私の台湾への憧れは、年季が入ったものだったのです。

同行者現る!
新聞広告に手ごろな値段で、丁度良いコースを見つけた。
私の目的は2ヶ所。「故宮博物院」と「龍山寺」なので、台北市内だけの滞在でよい。
地方には興味がない。だけど、大抵パック旅行となると台北、高雄、花蓮を回るコースが主流となる。
「台北だけでいいのに・・・」と見送ることになり、延ばし延ばしになっていた。

私は嬉しさのあまり太極拳教室の先生(女性)に台湾行きのことを話した。
すると、これまた思いがけず即決で一緒に行くことになってしまったのだ。
さすがスポーツマン!私と違って先生は決断が早い!反射神経が素早い。
私はこうはいかない。だって「行きたい」と思ってから何十年も経っているくらいなのですから・・・。
ここ何年か一人か母との旅行が続いていた。嬉しいのと緊張と・・・。

日程など
その1。
先生は家庭と仕事を持つ忙しい身である。
出発日を決めるのにも、ご自分ひとりで決定するわけにはいかないのでした。
飛行機の空き状況を旅行社に確認しながら決めることになる。
その上先生は7月に大きな大会出場をひかえていて、6月中には帰ってきたいという。
旅行社との連絡窓口になっていた私。再三の変更を伝えるのが心苦しくなってきた。(グッタリ・・・)
「私が話すから」と先生が代わって電話してくれた。
「(なんてことなかったわよ!)大丈夫OKよ!」と明るい返事。
最終的に決まった日程は、どちらもものの見事に覆っての水曜日出発。
しかも7月に入ってる・・・最後はだんな様の鮎つり解禁にあわせて落ち着いたとのこと。

その2。
3泊4日の短い旅行である。特別計画を立てることもない・・・と私は勝手に思っていた。
行きたいところは2ヶ所。あとはその道々寄りながら買い物をする・・・くらいに考えていた。
先生に「ねえ、(フリータイム)どうするの?」と聞かれた。
「(えー、それではご説明いたします)着いたその日に若者の町に出て、本屋とCD屋を見ます」
「翌日は・・・」と言ってはみたものの先生の顔は浮かない・・・「そこに何で行くの?」と質問は続く。
「地下鉄の1日乗車券が付いているのでそれは3日目の遠出に思う存分使って・・・」
やはり、私と一緒では心もとないのだろうか・・・?
教室でよほどボーっとしてるのだろう。
「ごちゃごちゃ言わないで任せなさい!」とも言えず必死に説得する私だったのでした。

その3。
先生は空港までの行き方まで念入りでした。
私の家は先生の家よりもずーっと空港から離れているのですが、まあ朝一番の電車に乗れば
間に合う、と踏んでいた。
ところが、「どこか空港の近くに泊まるところあるかしら・・・」と言うではないか?
「大丈夫(大変だけど泊まるまででもない)間に合います」と私。
思いもよらないこと言うからびっくりした・・・先生って以外に心配性?

父のアドバイスあれこれ
これまで私は何度か中国大陸へ旅行しに行っている。
父も中国へは行ってないものの台湾、韓国へは数回行っていた。(いずれもご招待大名旅行で)
そんな父からのアドバイスはどれも「気を抜くな!」だった。

その1.買い物。
中国は木彫りの置物が特産のひとつに上げられる。父に似てそんな工芸品が好きな私に、
「何か高価な置物を購入したら、包むのを見ていないといけない。
隠れてすりかえられたら終わりだぞ!」と。さらに続けて「じゃなかったら、底の見えないところに、
ボールペンか鉛筆でをつけるんだ。名前を書くのもいいしな」と。
私はなるほど・・・と感心して素直に聞いていたが、そんな高価な買い物をすることもないだろう、と
心の中で思っていた。それでも、買ったものを包むのを見張るというのは、以来必ず実践している。
父は黒檀のテーブルをはじめ、今では持ち込み禁止の(ワシントン条約)品々を船便などで送らせた
つわものである。品物のすりかえや損害は父の機転の利いたアイデアで一度もおきていない・・・。
また、私が書道をするずっと以前から、筆や墨を買い込んでいたが、韓国は当時‘戒厳令’が
しかれていて検閲も厳しくて、箱はズタズタに破けていた。
私も太極拳で使うおもちゃの武器類を買ってくるが、向こうでしっかり包装してもらう。
言うところははっきり言わないと何されるか分からないのだ。
「箱に入れて!そんなんじゃなくて、もっと大きい箱にして!」というように・・・。
何事もアイデアと知恵を働かせないと中国では生きていけないのだ。
こんな話しを横で聞いてた母が、「‘生き馬の目を抜く’ような国ねえ」と言っている(笑)

その2.襲われたら。
「ひったくりに襲われたら・・・」
(旅行中の私はどう見てもお金を持っているように見えないので、襲われる心配などないのだが)
「ひったくりに襲われたら、目当ては金なんだから財布を投げろ!」とアドバイス。
「だから、カラの財布を持ち歩いて襲われたらできるだけ遠ーくに投げて時間をかせいで
泥棒が財布を拾いに行ってる間に逃げるんだ!」と・・・。
「笑い事じゃないんだぞ!できるだけ遠ーくに投げるんだ!」と言う。
私は、小銭だけが入ったダミーのボロ財布を持たされた(笑)
投げたときにチャリンと鳴るように、小銭だけ入れておくのだ(笑)
バカバカしい・・・と思いながらも一人旅の時は持ち歩いている私です。
(このダミー財布を持たされたのは1999年ギリシャに一人で行く時だった。)
幸いに、まだ一度もダミー財布を投げたことがありません。
でも、拾った泥棒がダミーと知って追いかけてきたら、それこそ怖くね?

いよいよ出発
空港でチェックインをしようとしたら、チケットが届いていないらしく「少々お待ちください」と言われた。
関西国際空港まで国内線で飛んで、そこで乗り換えて台北に行く事になっているのだが、
先生と待っていたがなかなか呼ばれない。もう離陸時間の30分前・・・。
「一体どうなってんの?」
15分前になっても呼ばれない。
「もう、乗れないじゃないの?」ロビーに関空行きのお客さんはいなくなっていた。
10分前になってようやく呼ばれた。
「お待たせしました。チケットは関空でお受け取りください」と言うではないか。飛行機まで走った。
乗れればこのスッタモンダもオールオッケーだが「(国内線って、5分前でも乗れるの?)」と
そのことに驚いた私だった・・・。

関空でチケットを受け取るのに、これまたカウンターで長いこと待たされた。
せっかく関空探検しようと思っていたのに、結局椅子に座りっぱなしだった・・・。
母に持たされたおにぎり持ってきて本当によかった。危うくお昼抜きになるとこでした・・・。
先生にも母のすじこ入りおにぎりを分けてあげて、ふたりでお昼にした。

機内での話題
ついこないだの5月の連休に、太極拳の特別講習会があった。
今年は李先生という、‘孫式’の選手として何年も連続で優勝を続ける優秀な先生がいらした。
私はそんなこととは知らなかったが、その李先生の種目に申し込んでいた。
当日行ってみてビックリ!うっとりするくらい素敵・・・♪
前列(25人ほど受講)の端が今回同行者のK先生、その隣りに私が陣取った。
先生は李先生と面識があったので、李先生は講習の間中ずーっと先生に視線をきめていた。
「(一回ぐらいこっち見て〜♪)」と心で懇願していた私・・・。
私の視線は李先生に釘付けだというのに、その視線をスルーして、隣りの先生に視線が
注がれてるなんて。
そりゃないよ・・・。しかも2日間ずっと。
この悲しさを先生に話したら「そうだっけ?」だって・・・。
「そうですよ!ずっと見つめ合っいたわけですよ!
2日間も!
よっぽど視線に割り込んでやろうかと思いましたよ!」
「アハハ・・・(李先生の)どこがいいの?」
「そりゃあ、顔でしょ?声でしょ?それに床屋したての後ろの刈りあがったうなじでしょ・・・?」
「何?太極拳の動きじゃないのぉ?」
「あっ!そりゃもちろん・・・(タジタジ・・・)いや、やっぱり顔かな・・・?(タジタジ・・・)」
受講中、李先生が直接私に声をかけられたのは2回だけ・・・。
「もっと大きく(怒!)」「足はここ(怒!)」の二言だけ・・・。
受講者を相手に技の実演をする時も、お相手に選ばれるのは
若くて丈夫そうな男性(飛ばされてもいいように)ばかり・・・。
私は立候補したくてウズウズしていたが選ばれるはずもなく(泣)
次回このような機会があれば「私に(技を)かけてくださいっ!」と立候補してみようかな・・・。
まだその機会は訪れてない。
講習が終わってから全受講者(150人くらい)で食事する機会があった。
やっぱり私はこの時も話せなかった・・・。
とにかく思い切りが悪くて「話しかけたいなあ・・・でも何て?」と、グズグズしているうちに時間が
過ぎてしまう。
後日、李先生を囲んで先生はじめ数人で写ってる写真を発見。
「にゃにー!?私もまじりたかったよ、とほほ・・・」
思った時は後の祭り。ガックシ・・・。

台湾到着
私の一方的なミーハー話しをしているうちに中正空港(台北)に到着。3時間ほどの飛行時間だった。
機体が着陸のために旋回しているうちに外を見ると、
「・・・緑だ。それに・・・あの池のように点在しているのは何だろ?」
中国大陸は‘赤い大地’だった。でも、ここ台湾は違う。水田?牧草地?たくさんの水溜りは何?
一面の緑・・・‘緑麗しの台湾’なのでした。

迎えに来たガイドさんは夜間大学の女子大生。張さんといった。
早速、さっきの光景はなんだったのか聞いてみた。「水田ではありません。ただの草です」
なんかもったいない気がした。
「じゃ、あの池みたいのは?」張さんは運転手さんに聞きながら「魚の養殖です」と答えた。
納得。それにしても緑はただの草であろうはずがないのでは・・・?あの緑は水田ではないのか?
大陸では厳しい環境の中でも作物を収穫しようと躍起になってるというのに・・・。
土地を遊ばせてるわけがない。「ここは中国にあらず」なのか?

西門街
ホテルの部屋はとても広かった。奥の寝室のほかに手前に応接間が付いていた。
休むまもなく予定のお買い物‘西門街’へ。
ホテルからは歩いていける距離です。地図を頼りに歩き始めました。
‘西門街’の‘武富街二段’は渋谷、原宿のような若者ドッサリ。歩行者天国の買い物通りです。
この通りをまっすぐ行けば台北の中心地‘中華路一段’へ出ます。

「誠品商場」へ。
元々「誠品」は書店なのですが、西門街「誠品商場」は若者御用達のファッションビルだった。
私の目当ては5階、6階の書店だったが、太極拳の本などまったく見当たらない・・・。
「(一体どうなってんの?)」先生は何しに来たの?と言いたげに退屈してるし。
私は本を見送って「CD店に行きます」と、早々に退散することにした。
それにしても洋服の値段を見て驚いた。日本とまったく同じではないか。
これじゃ何も買えないよ・・・。やはり「ここは中国にあらず」なのか・・・?

中華路一段のCD店。
地図と反対方向にあったので一瞬ドキッとしたが見つかってよかった。
順調に思ったとおりに事が運ばないのは、知らない土地では当たり前。
だけど、今回は連れがいる。それも先生だ。緊張してしまう。
いつ‘もう!当てになんないんだから!’と言われるか気が気でない・・・。
ここのCD店は日本の半額程度が相場なのだが、なんだか中国という実感はない。
以前から欲しかった‘張学友’の「真愛」と‘田震’を仕入れた。(中国音楽特集参照)
一方先生は、さすが太極拳のCDに絞って探している。
お茶の名前のCDをGET!(曲名がお茶の名前)
私も以前聴いたことがあって気に入っていたので「いいなあ、あとで貸してくださいね」

 置いてる品も日本と変わらない。つまんなーい!


スイカジュース
私は喉がカラカラだった。何でもいいから飲みたいよ〜・・・。通りに面してスタンドがあった。
「スイカ・・・ミルク入り、いやいや・・・まんまがいい・・・」と‘原汁’を注文した。
先生は「(こんなとこの飲むのお?)」と不思議そうに私を見つめる。
何を入れられるか見張ってないと気が済まない私は、注文した品の行方を追った・・・。
「(あっ!スイカ以外のもの入れた!水・・・?)」さすがにナマ水はやばいでしょう・・・。
でも、喉の渇きには勝てなかった。ごっくん・・・あれっ?大丈夫かも。
「なにか入れられたんですけど」と、先生に言ったら「シロップかも」と言われ納得。
美味しく飲んだ。ふー、生き返ったよー。

老天禄食品
今晩は土曜日の晩なので通りは特別に人が多かった。
ステージを設置して人気のアーチストなのか、大変な人だかり・・・。
そんな中、この食品店もたいへん繁盛していた。「何か面白い食べ物ないかなあ」と店内へ。
日持ちのしそうなお菓子を購入。そうこうするうち先生はコラーゲンたっぷりの鳥の足を発見。
コラーゲンはお肌によいのだと言う。私は美容には疎いし、興味もないのでコラーゲンは
どうでもよかったが、鳥の足は大橋巨泉の大好物だそうで、たいそう美味しいと言っていたのを
思い出し、食べてみたいと思った。それと‘大素几’。すごく売れている。
「これなんですか?」と私。「豆!」と店主。「豆?肉?」と私。「肉じゃない!豆!」と店主の返事。
「(豆?どう見ても肉じゃないか、わっかんなーい・・・)」とりあえず買ってみた。

場末の食堂
機内での会話から、先生はちゃんとしたレストランの‘豪華台湾料理’を期待していたのだろう。
残念でした。それは相手を間違えています。
私との旅行では‘地元人に溶け込む食事’しかできません。
というわけで、路地を入ったところの「元祖・・・」の文字に釣られ食堂に入った。
先生は‘筋肉入り麺’を食べ「すごい!日本じゃこんなに肉入ったの食べられないわよ!」と感激。
私は台湾で本場の‘米粉’(ミーフン、できれば焼きビーフン)が食べたかったが、ここにはなかった。
仕方なく中国の美味しい餃子のイメージ(2000年上海参照)で注文したが、はずした・・・大失敗。
美味しくなかった(泣)

 ‘元祖なんだっけ?’の店主


さっき買った鳥の足と正体不明の‘大素几’をとりだす。
コラーゲンの足は、最初食べるのに勇気がいったが食べてみると美味しかった!
「やみつきになりそう・・・」という私とは対照的に先生はあまり御気に召さなかったらしい。
さて、‘大素几’だが、なんだかモサモサしてて食べても正体がよくわからない。
後日、張さんに聞いたら(張さんは知らなかった、例の運転手さんが答えてくれた)‘大素几’は
間違いなく豆だった。
精進料理などで肉が食べられないときに豆で肉に似せて作ったものだという。
なるほどねえ・・・。


見るからにグロテスクな手!でも食べると以外にイケル!
白く見えるのは餃子で、その上に‘鳥の手’と濃い茶色が‘大素几’手前は先生の‘筋肉入り麺’


台湾初日の夜は先生の「筋肉食べて元気モリモリ、明日は大丈夫よ♪」と締めくくられたのでした。
私の‘米粉’(ビーフン)GET!の行方は・・・?




「半日観光」

 太極拳in台湾(1)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
5時半起床。昨日から目星をつけていた河浜公園へ。

ホテルの朝食 7月1日(日)
朝食はホテルのバイキングです。
まずは、コーヒーで一息入れてからグルッと一回り。料理を皿に盛る。
私は大抵中国では朝にお粥を食べます。今回の台湾のホテルでは南国らしく果物が豊富でした。
大好きなライチ、スイカ・・・が食べ放題!「朝からスイカだなんて、幸せ〜♪」
それとケーキが豊富だった。つい食べたくなるきれいなケーキの誘惑には勝てず、つい皿に盛る。
朝からケーキ♪先生も「こんなに美味しい朝食が食べられるとは・・・」と感激していた。
私は食べ切れなかったケーキや果物を持ち帰りたいと思った。でも「どうやって?」
そこで先生が「ハンカチ持ってる?」と。さすがは年の功!
「さすがあ!そうか、ハンカチねえ。フムフム・・・」と、持ってるハンカチにライチとケーキを包む。
私一人では思いつかなかったろう。せいぜい残したライチを前に悔しがってるのがオチだ。
先生と一緒でホントよかった・・・♪

忠烈祠
忠烈祠は台湾建国に献身を捧げた人たちが祭られている所です。
台湾は蒋介石率いる国民党が、北京で短い政権を取った後、毛沢東の共産党に追われ南下し、
最終地台湾に渡って建国した国である。その思想は孫文の意思を受け継いだものです。
蒋介石は北京から追われ南下する際に故宮内のほとんどの財宝を持って逃げました。
トラックで何百台分もあったと言います。
船に乗らなかった分は現在南京(当時は南京が首都だった)に残されているとも言いますし、
長くのうちには紛失した文物も少なくないはずです。それらは行方知れずということで・・・。
とにかくめぼしい財宝は台湾に運ばれました。それで、故宮博物院というのです。
北京の故宮はガランドウ。建物(紫禁城)のみが残された。
中華文明の宝物を見るには台湾に来なければならないのです。

 向かい合って2人護衛している。汗を拭いてあげるおじさんも現れたりした


ところで、忠烈祠ですが、外門に衛兵(墓守)が両脇に2人立っています。
門を入ると本殿までの長い参道が広がり、本殿前にまた2人衛兵が立っています。
この衛兵は1時間に一度交代します。ここでの観光客相手の目玉は衛兵の交代シーンと
外門衛兵が人形のようにピクリともしないのと、本殿前衛兵の銃のパフォーマンスの三点でしょう。


衛兵の交代シーン。足の角度に狂いはない


まず、外門からご説明いたしますと、私が父から聞かされた話では「絶対動かない。瞬きもしない」と
いうものでした。
ところが瞬きしてるんですよ。「・・・なあんだ、動いてんジャン」
張さんの話ではこの衛兵になるオーディションは制限が厳しくて、身長170cm以上眉目秀麗が
条件なんだと。
「どれどれ・・・」私はまじまじと顔を見て「どこがじゃー?」
私の李先生のほうがずっとイケ面よ・・・。

本殿前衛兵の銃のパフォーマンスは、銃をふたりで操ってカチャッカチャッいわせながら投げて
受け取ったり、
クルクル回したり・・・それが見事決まるとニヤリ。


本殿前銃のパフォーマンス。 クルクルクル・・・カチャ!ニヤリ・・・


まあ、衛兵の見せ場としてはこんなところで、本殿へ・・・。
ここは台湾建国に尽くした人たちが祭られているのです。それは誰か?
リー・リンチェイ主演映画「once upon a time in china U」(1992年)の中に登場している‘陸’は
ここに銅像まで作られていました。映画の中でこの方は孫文の片腕として国民党の名簿を
預かっていた人物で、危険が及ぶと知るやその名簿を命がけで守った人です。
この人がいたおかげで台湾に中華民国旗が運ばれ、隠密に活動していた人たちが
生き延びたのです。
本人は台湾の地を踏めず命を落としてしまいましたが・・・。
台湾の地に銅像が建てられ英雄として祭られているのです。

 この人が陸さんです


中正記念堂
言わずと知る台湾のシンボル的建物です。
ここには蒋介石の巨大銅像とともにゆかりの遺品や、執務室の再現、愛車のロールスロイスなどが
展示されています。

 この建物の中に蒋介石の巨大銅像がある


銅像背後の「倫理、民主、科学」の文字は蒋介石の直筆と言う。
中正は蒋介石のことで、蒋介石はまたの名を‘蒋中正’というのです。
表門には有名な「大中至正」(中庸こそがベスト)の文字。


青い屋根付門に「大中至正」と書いてある


私は台湾に来てからずっと「ここは中国にあらず」と感じていた。
その観は時間を追うごと強まる一方でした。
だけど、ここに来て唯一中国思想を見つけました。それが中庸こそがベストの「大中至正」です。

先生に「訳して」と言われてもうまく答えられなかった「三民主義」とは・・・。
「民族、民権、民生」なのですが、中国革命の父‘孫文’(1866〜1925)が唱えたものです。
孫文は何度も革命を試みるが成果を見ないまま「革命尚未成功」と言い残し病没しました。
また、革命の推進には自由のための武力を持たねばと考え、軍学校を設立しました。
この時、軍学校の校長が蒋介石だったのです。
蒋介石は孫文の亡き後国民党政府の主席となりましたが、共産党との内戦に破れ台湾に逃れた。
台湾でも正統政府と大陸反抗をうたっていたが、1975年病没。

そもそも「三民主義」は中国的ではないと思いますし、だからこそ当時中国に受け入れられなかった
のだと私は思います。
孫文、魯迅などの知識人は斬新過ぎて国民に理解されず万人がついていけなかった。
その点、単純で分かり易い毛沢東が受けた。この違いが明暗を分けたのだろうと思うのです。

いずれ、留学経験それも日本で(当時、留学と言えば日本だった)かぶれてしまった知識人のひとり
である‘蒋介石’(1887〜1975)の真髄が孫文の「三民主義」だったのです。
蒋介石はこれを転じて、「倫理、民主、科学」と言い表した。
倫理(道徳的なこと)、民主(政治のこと)はいいとして、科学とは?
当時の中国の生活は科学とはほぼ遠いものだった。
と、彼ら(孫文、魯迅、蒋介石を初めとする知識人)は、早くから外の世界(諸外国)を見ているだけに
開きを強く感じていた。だから、「生活を進歩させる」ことこそ政治に求められることであり、
中国国民は科学的な生活をすることで、人としての倫理も身につく、と考えた。
ある意味理想家なんですよね。一気にそんな変わるものではない。しかもあの広大な中国で・・・。
理論はどんなに立派でも実体が伴わなければ‘絵に描いた餅’に過ぎないのに。
結局餅で終わってしまった。

大陸中国で支持されリードしたのは「マルクス主義」に傾倒した‘毛沢東’(1893〜1976)だった。
このひととなりや晩年の文化大革命を思うと、いずれの道が最良だったのか私にはわかりません。
とにかく「中華人民共和国」はマルクス主義の道を、「中華民国」は三民主義の道を歩んできた
わけです。
・・・その後、台湾は日本支配があった。
「ここは中国にあらず・・・日本なのだ」これが私の結論でした。

台湾のテレビ事情
私が台湾を「日本だ」と思ったのは、まず昨晩の‘西門街’の若者を見たのが始まりでした。
そのファッションといい、そのお値段といい、一番人気があるのは‘キンキキッズ’次に‘SMAP’と
上位は日本人が占めている。アイドルに限らず、CDショップには日本の歌がほとんど揃っているし。
ガイドの張さんは、反町隆の大ファンで、私が「彼、結婚したわよ」と言うと
「知ってます松嶋奈々子でしょう?どう思いますか?」って。「どう?っていわれても・・・」
どうして私じゃなかったの?と、今でも反町との結婚を諦めていない彼女なのでした・・・。
台湾だから、「金城武がいるでしょう?」と言うと「あの人を嫌いな人はいません」と。
日本のドラマ番組などは私より詳しくて、尋ねられてもこっちが知らなかったほど。
マニアックな若手の俳優の名前まで知っていて逆にこっちが教えられてしまったほどだった。
台湾では日本とほとんど同時期に日本の番組が吹き替えで放送されてる。
日本のナイナイの‘メチャイケ’のパクリ番組もある。(ホテルのテレビで見た)
ここまでくると日本で生活しているのと変わらないではないか。
ステイタスが日本志向なのだ
「ここは中国にあらず・・・日本だ!」は、そう外してないと思うのですが・・・?

これでは、大陸中国と対立するのも無理はない。
台湾はどう見ても日本に近い。中国に歩み寄る気などあろうはずがない。
もし、そうしようものなら、それは台湾の後退を意味することになるだろうから。
後退と言うのは適切でないかも知れない。
それに私は何も大陸中国が立ち遅れているということを言っているのではない。
このところの急速な中国の発展ぶりに舌を巻き、不況の日本など吹き飛ばす勢いのある中国。
しかし、台湾の向かう先に、どんなに発展しようとも、中国の姿はなさそうだ。
ステイタスが日本志向から、どこか(例えばアメリカとか・・)に変わろうとも、中国志向には
なり得ない。そんな気がした私でした。

私が友人に頼まれた中国製のクリームを探していたら、「輸入だから・・・」と店の人に言われた。
中国から輸入と言ったのですよ。これが台湾の人たちの感覚なのです。中国は外国。
(ちなみに同じクリームを北京で購入するのと5倍の値段で売られていました)

龍山寺
ついにやって参りました!散々父から予備知識を聞かされてきたお寺です。
30年も前の情報ですが‘神社仏閣大好き’の私にとっては今日一番楽しみにしていた場所です。
父がここに来た当時は「寺の周囲の家の軒が一直線にそろっていて、
松の一本物の丸太の垂木が見事だった・・・」と言っていた。
でも現在そのような光景はありませんでした。
「どんなだったんだろう・・・」と想像するしかない私なのでした。

お次は‘彫刻が見事な柱’です。この寺院は1738年建立された仏教寺院です。
二次大戦時に一度消失しましたが、石の柱は焼け残ったのですね。
参拝箇所も目的に応じて神様が待機しています。
万能の‘観音’受験の神‘文殊’‘普賢’をはじめ武芸の‘関羽’良縁、子宝・・・と、
神様のデパートです。
日本以上に学歴社会の台湾では、受験の神‘文殊’は大盛況で受験票のコピーを
お供えしてお願いします。
所狭しとギュウギュウに並んでいます。
台湾の学歴社会は日本統治下の延長に生まれたようなものです。
というのも、当事小学校教育を義務付け、日本語を授けたのです。
この時から就学率が100%に近くなった。
その教育制度の延長が今の台湾の高学歴社会を作ったと言ってよいでしょう。
だから、日本より小さいうちからの厳しいお受験地獄があるのですぞー。
以前、日本の国立大学に大学院留学していた台湾の女性は、その高学歴にもかかわらず
「台湾に帰っても仕事があるかどうか分かりません」と話していたっけ。
上には上があるのですね・・・。

 焼失せずに残った柱    


先生は願い事をしてそれが一度で聞き入れられたといいます。(1995年香港のおみくじ参照)
願いが叶ったら‘鳥の丸焼き’をお礼にお供えするので
「先生!特大の丸焼き持ってまた台湾に来なくっちゃ!」と私。
私は、神への頼み事はいつでも決まっていて、それは家族と自分の‘健康’です。
「何お願いしたの?」と先生に聞かれて「健康です」と正直に答えたのに不審がられた。
健康であること以上の幸福はないと本気で思っているんだけどな。
欲を言って、プラス‘平和’と言うときもある。
世の中が平和でなかったら、こうして海外旅行などできないではないか。
一に健康、二に健康、三四がなくて五に平和・・・。

昼食の鍋料理
台湾名物?鍋料理のお昼だった。肉、魚、野菜を鍋で煮て、ポン酢のようなたれにつけて食べる。
お店の人が食材を鍋に入れてくれて、食べごろに煮えると取り分けてくれた。
私は肉を食べないので「これ、肉?魚?」と聞いていたが、得体の知れないものも入っている。
「ニクスリミ」とか「イカスリミ」という。
若いテーブル担当のお姉ちゃんに先生の日本語ワンポイントレッスンが始まる。
「これは、肉すり身。す・り・み。・・・ね!」「こっちはイカす・り・み!
私は暑い暑いといいながら、食事についてた温かいお茶を飲みながら、これまた熱い鍋をほぼ
平らげたのでした。
「(夕飯こそはビーフン食べたいなあ・・・)」と考えながら・・・。
このお茶が午後のフリータイムで悲惨な事態をもたらすとは思いもよらなかった私です・・・。

 お昼の鍋




午後のフリータイム
午後はフリータイムである。
先生は部屋で少し休みたいというので、昼食が済んでからホテルに帰ってきた。
私はその間、近くに買い物に出かけた。
コンビニで今晩飲む酒でも・・・と思ったらドイツカッツぐらいしかない。
「台湾ならではの面白いジュースでもないかな・・・?」‘冬瓜ジュース’を発見!
「おお!これにしよう。あとはお決まりのスイカジュース!」
先生に‘台湾ビール’も買っておこう。私はビールが苦手です。でも、ドイツワイン飲むくらいなら、
ここでしか飲めないビールの方がましというもの。ついでに父へタバコを購入。
台湾のタバコと言えば‘長寿’がポピュラーだ。見ると‘長寿’も数種類あるではないか。
数個ずつみつくろって全種類の詰め合わせにした。

コンビニを出てぶらぶら歩いていたら靴店を発見!私は足が小さい。
太極拳用の靴を探すのに大変な思いをしている。こういう機会に探すことにしているのだ。
店内で太極拳用にしてもよさそうな刺繍靴を見つけた。
ホテルに帰って先生に見せたら「ふうん・・・まあ、いいんじゃない」とそっけない。
それもそのはず先生は競技用のシューズが太極拳靴なのですから。
私のイメージは中国清時代頃の、それこそカンフー映画の‘黄飛鴻’が履いてる靴のイメージ・・・。

華西街へ
お線香の匂いが苦手という先生。そのお線香に包まれる‘龍山寺’界隈へ再び向かいます。
華西街周辺は台北市内で最も古い地区なので、下町の風情が今なお残っている地区です。
歩き始めてまもなく私は胃が痛くなってきた・・・。
すぐホテルに戻って薬を飲めばよかったものを、我慢してしまった。
だんだんひどくなってきたが、その時はもう戻るには遠くにきすぎていた。
お昼に飲んだお茶の水に当たったのだと思う。
お茶はお湯だったのだが、沸騰させていなかったのかもしれない・・・(痛)
あとで、先生が「不機嫌だったわよ」と言っていたが、不機嫌だったのではない、痛かったのです。
ホテルに戻って薬を飲むまで痛みは続いた。出かけるときも胃薬は持参するべきだと思った。

痛みに耐えて、母に茶越し付き茶器をGET!
再び訪れた‘龍山寺’で引いたおみくじは‘上上’だった。
私が丹念にお寺を見て回ってるうち先生が見当たらなくなった。
「どこいっちゃったのかな?」と思っていたら、「今ね、なんだか派手な京劇の人たちが
仏具屋さんから出てきて凄かったのよ!」と言う。
「えーっ!?私も見た〜い!」「もう、トラックに乗って行っちゃったわよ!」
私がのんびりおみくじなんぞを引いてる間にそんなイベントがあったなんて・・・。
この旅行のラッキーガールは先生のようだ。

 
先生が見た怖い隈取の宣伝集団。通りすがりの人たちも立ち止まってる。青トラックで素早く撤収!


華西街観光夜市へ
昔からの市場が集まっている通りで、へび屋、スッポン屋、食堂が集まっている。露店も多い。
先生がセンスのよいペンダントを購入。
「値切って」と言うので挑んだはいいが、元が安いから値切り甲斐がない・・・。
それでもちょびっとまけさせた。と、今度は別の店で同じようなペンダントを購入。
「値切ってよ」とのご指名に挑んだはいいが、こちらのお姉さんはガンとしてまけてくれない。
「別の店ではまけてくれた、って言ってみて」と先生は強気だが、やっぱりまけてくれなかった。
自称‘値切りのプロ’の私がみたところ、あの手の顔をしたお姉さんにはいくらがんばっても
無駄なのです。それに、もうまけようがない値段なんだもの・・・。


夜市の入り口門。夜市といっても昼も営業してます


高級食材は見るだけにして、今晩の夕飯をここで調達しようと思います。
食べて帰るのもいいのですが、テイクアウトすることにしました。
私はなんとしてもビーフンが食べたい!できれば焼きビーフンが食べたーい!
真っ先に聞くのは「ビーフンはありますか?」
最初に聞いた店はテイクアウトができなかった。
「向かいのお店なら持ち帰れるわよ」と教えてくれた。

「テイクアウトしたいのですが、ビーフンはありますか?」と、聞くと「あります」と言われた。
でも、焼きビーフンはなかった。スープビーフンしかないという。なぜ焼きビーフンがないんだろう?
他に‘海老のボイル’と‘アサリのしょうゆ漬け’(台湾名物)をテイクアウト。
部屋に戻れば今朝のライチとケーキもある。

没有‘口福’
さあ、夕飯だ!と、応接室で買ってきた品々を広げた。
「ビーフン、ビーフン・・・ふふふ・・・」と待ちきれない私だったが、食べてガッカリ・・・(涙)
「美味しくなーい!」先生も試食してみて「仕付け糸みたいね」と言う。
その表現は正にぴったし!まさに‘仕付け糸’だ!それに量も少ない。
泣きながら‘仕付け糸’のビーフンを食べながら、やっぱし、「ここは中国にあらず」
コンビニで買っておいた‘冬瓜ジュース’を飲む。これまた「美味しくなーい!(泣)」
気を取り直して‘スイカジュース’を飲む。「うわっ!美味しくなーい!(泣)」
ことごとく裏切られ、もはや立ち直れない私。連続ノックアウトくらう・・・(泣)
‘アサリのしょうゆ漬け’は生っぽいので食べずじまい。
でも、料理の本で調べたところによると、そういう料理のようなので食べても大丈夫だったかも・・・?
海老は極ウマでした。つけて食べるソースも極ウマ。・・・それにしても欲求不満な私。
日本では飲まないビールなんか飲んじゃったりして・・・。まだ、台湾で食事の当たりがない。
中国では美味しいものに縁のある人のことを‘口福’といいますが、台湾での私はさしずめ
‘没有口福’です。明日に期待するしかない・・・。焼きビーフンの行方は・・・?




「故宮博物院」

 太極拳in台湾(2)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
今日は一日フリーなのでたっぷり時間がある。

故宮博物院 7月2日(月)
故宮博物院は台北市の北‘士林区’に位置する。世界四大博物館のひとつ。
ホテルの近くの地下鉄駅から台北駅で乗り換えて最寄駅まで行き、あとはバスで故宮博物院まで。
バスに乗って思った。「空気が違う」
気がつかないでいたが、郊外に来ると空気がまるで違うのに気づかされる。

念願の故宮博物院である。
「やっと来れた。ここに‘真筆’があるんだ。もうじき見られるんだ・・・」私は本当に感激していた。
時間はたっぷりある。楽しみの‘書’は楽しみに取っておいて、順番に見て回ることにした。
展示スペースは3階に分かれている。


正面入り口には‘国父’「孫文の碑文」と蒋介石の像がある


1階、青銅器。
別段興味はない、さらっと流した。
先生はインフォームユニットを借りていた。解説があるので歩くペースが遅い。

2階、陶磁器。(別紙参照) (左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
ここで、私が見たかったのは、清の乾隆帝が愛用した水仙盆くらいのものだった。
さらっと流して私は、書、絵画に時間をかけたかった。先生、早くしてよ・・・。

2階、書。(別紙参照) (左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
待望の書!ここにこそ時間をかけて見たかった。ところが・・・無い!
「(無いってどういうこと?・・・そんなバカな・・・)」
部屋を間違えているのかも・・・もしかしたら、階が変更になったのかも・・・
書を見るために、はるばる日本からやって来たというのに・・・。
私は腑に落ちないのと、そんなはずはない!という思いで、混乱してました。
私の頭の中にはここで目にするはずだった‘真筆’のリストが渦巻いていたのですが、
ひとつとして見つかりません。
全身から血の気が失われていきます・・・(冷)
「おかしい・・・何かの間違いに違いない・・・おかしい・・・ひとつも無いなんて・・・」
どうしても、この事態が受け入れられない私は、「おかしい・・・おかしい・・・」を何度も繰り返し、
先生に‘あなたこそ、さっきから同じことブツブツ繰り返しておかしいんじゃないの?’という目で
見られていたのでした・・・。
これは、ずっと後で知ったことでしたが、書と絵画は故宮博物院の目玉コレクションです。
巡回展示をしているそうで、書は秋に一部展示があるそうです。
何度行っても見飽きることの無いように配慮された結果であり、同時に展示を入れ替えているため
故宮博物院の膨大なコレクションを見るには何度も足を運ばなければならないというわけ・・・。
そんな事とは知りませんでした。てっきり常設されているものとばかり思ってました(泣)
そうと知っていたなら、わざわざ台湾まで来なかったものを・・・。
そんなこととは知る由もない私は、尚もしつこく「王義之はどこ?・・・顔真卿はどこ?・・・
蘇軾はどこ?・・・」と、亡霊のように院内をさまようのでした・・・

2階、絵画。(別紙参照)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
腑に落ちないまま、絵画に進む。
故宮博物院は他に類を見ないほど、書と絵画のコレクションが膨大である。
そりゃそうだよね、中華文明4000年、いや5000年ともいわれる継承なのですから。
私は‘王蒙’‘蔡白’‘黄公望’などいくつかの名品を見ようと考えていました。
だけど、絵画でも私が見たいと考えていた作品の展示がありません。
「どう考えてもおかしい・・・。だってここは天下の故宮博物院。
なのに書と絵画の名品がひとつも無いなんて・・・」
「おかしい・・・おかしい・・・」
でも、どこをどう逆さまにしても無いものは無い。またしても、先生の目はこう言っているようだった。
‘おかしいのはあなたよ。さっきからおかしい、おかしいって、何もおかしくないでしょ!’と・・・。
書につづいて絵画でも・・・(悲)
お目当ての作品には出会えなかったのでした・・・(泣)

4階、三希堂。
このへんで、いったん休憩タイム。私も腰痛が始まってきました。
この腰痛は年々耐久時間が短くなっており、3時間も立ち通しだと悲鳴をあげてしまうのでした。
お茶と簡単なお菓子ぐらいしかありませんが、博物館内で休憩することにします。
私は台湾名品の「凍頂ウーロン」が飲んでみたかったので、それを注文。先生は別のを注文。
ひとつでもよさそうなのだが、飲み比べもいいかな・・と思ったし・・・。
お腹がすいていたので、菓子パンのような蒸したお菓子でお茶した。

この時もまだ「書」と「絵画」のことが腑に落ちない私は、少々不機嫌だった。
そこへ先生が私の注文したお茶を飲んで「ただの番茶ね」と言ったもんだから、
危うく切れそうになった。
でも、あまりに腰が痛くて、そんな力もなかった私でした・・・。

3階、玉器。(別紙参照)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
これは、これは・・・素晴らしかった♪
「書」と「絵画」がなくとも、「玉(ぎょく)」のコレクションを見ただけでも充分ここに来た価値あり♪
古代のペンダントヘッドから最近の宮廷細工に至るまで、玉は神秘的な力を持つと信じられ、
これほどの芸術にまで高めた中華文明は世界に比類がない、と私は思う。
どのような石でも、その質感と色合をいかんなく発揮する技は本当に素晴らしいの一言です。

それにしても先生は遅い。
のちのち言われたことだが「・・・何もあそこまで合わせることなかった」と、先生は言った。
それは私のセリフだ。先生がそう思っていたのなら、別行動のフリータイムにすればよかった・・・。

この時、私は体調が悪く咳が止まらなかった。冷房が効いている館内でしきりに咳をしていたらしい。
このことを先生は心配はおろか「咳しているから、どこにいるかすぐわかって助かった・・・」などと
言うではないか・・・。気を使って歩調の遅い先生に合わせていたというのに、そりゃないよ・・・。
そんなことお構いなしの先生は切手が欲しいと言って郵便局(博物院の外)に行ってしまった。
私はミュージアムショップで品定め・・・「こんなことなら待ってないで先に見てればよかった・・・(泣)」
しかも、最後は「行くわよ!」と逆に催促される。
「(いったい誰のおかげで閉館時間までいたと思ってんの)」と言いたいのをグッとこらえた私だった。

ビーフンの行方・・・
圓山駅で途中下車して、孔子廟(儒教の孔子が祭られている)と保安宮(医の神が祭られている)に
行こうと考えていた。きっと、お寺が嫌いな先生は興味ないからサッサと終わらせたいに違いない。

その前に、お腹ペコペコの私は何か食べたかった。なにせ、お昼ご飯を食べていない。
駅降りてすぐの通りに食堂が何軒か並んでいた。
私はいまだにクリアされていないビーフンが食べたかった。
聞けばここにも‘汁ビーフン’しかないと言う。どうして焼きビーフンがないんだろう・・・?
仕方ない。美味しければいいや・・・と、あれこれ迷った末にそれにした。
先生はというと、「軽く食べましょう」といったにもかかわらず、お盆いっぱいに皿を並べた豪華な
食事になっている。
片や、私のほうはというと・・・なんと貧素な・・・(貧)
これでも私にとって今回の旅行で一番豪勢な食事なのでした。
それにしても、なんで焼きビーフンがないんだ??最後の最後まで‘没口福’な私なのでした・・・。

 圓山駅付近の食堂で
あくまでビーフンにこだわる私。向かいの豪勢なお盆は先生の食事。
これでも私は旅行中一番のごちそうだった・・・


孔廟、保安宮
孔子廟は閉館してしまっていた・・・(泣)
すぐ近くの保安宮は開いていたが、一日中立ち通しの私は腰が痛いのなんのって・・・(痛)
もう、帰ろう。ここで撮った写真を見ると、片方の肩が下がって体が歪んでいた・・・。
いろんな意味で疲れた・・・。博物院では見たいものも見れず、食事はハズレっぱなし・・・
この旅行自体失敗だったかも。

‘赤マンゴー’と‘玉の本’
台北駅に戻り、せっかくなので下車してみることにする。
先生は夜景を見にビルに登る。私はもう腰が辛いので下で待ってることにした。
駅前に「誠品書店」があった。玉の素晴らしさにすっかり魅了されてた私は、
故宮博物院の玉をまとめた写真集はないだろうか?と行ってみることにした。
本当だったら、さっき故宮博物院内で見つけたかったのだが・・・。
台北一大きな書店でも、なかなか思うような本は見当たらない。どれも抜粋で物足りなかった。
店の人に聞いたところ、コンピュータで調べてくれた。結果は「品切れ」ということだった。
品切れということは出版されているということだろうか?

夕飯に満足してなかった私は早くもお腹が空いていた。台湾での私はいつもお腹を空かせていた。
一人なら適当に摘むところだが、相手のことも考えるとそうもいかない。
三越地下食料品街で赤いマンゴーを見つけた。ホテルに戻って食べようと買った。
これが美味しいのなんのって(嬉♪)私が台湾で唯一美味しかった物、それがこのマンゴーだった。
それにしてもこのマンゴー、重くてまたも腰が悲鳴をあげていた。忘れられない・・・

台湾旅行のまとめ
私は台湾と相性が悪いのかもしれない。
そもそも行く前から何かとあやがつきまくっていたし、食事にも当たりがなかった。
故宮博物院では長年見たかった‘書’も‘絵画’も何一つ見ることが叶わなかった。
そんな、私が台北を発つ前に出したハガキがあります。編集なしの原文です。


今日で台湾最後の夜になりました。
今日故宮を見ました。今回の旅の目的です。
玉(ぎょく)の素晴らしいことには驚きました。
書と絵画は見ることはなりませんでしたが、それでも有り余るほどの見事さでした。
いつか、再度チャンスがあれば、その時こそは顔真卿&王義之の真筆が見たいものです。

2001年7月2日 台北にて
あっ、それと炒米粉も食べそこないました。次回持越しです。


2001年台北完

先生、たくさん暴露していますが、なんのかんの言っても私にとってはかけがえのない楽しい思い出です。
先生もそう思って下さっていれば嬉しく思います。先生は私との旅行にこりごりしてるかと思いますが・・・。



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