太極拳in台北(2)

2001年7月2日(月)

河浜公園の太極拳
昨日、気功のおばさんに言われたように7時に合わせてホテルを出た。
床はコンクリート打ち放し、天井は自然の樹木で木陰になっている天然の理想的な練習場には
4,5人の太極拳愛好者が集っていた。
誰が先生というでもなく、朝の運動として太極拳をしている愛好者に見えた。
新しい師匠はできそうになかった。
彼らは64式楊式太極拳と、楊式剣をして、その後棍棒をして、ハイ、終わり。朝食なのでした。
淡々とロボットのように動いて一丁上がり。といった感じで、鍛錬とはほぼ遠いものでした。
あくまで目的は朝食で、その前の軽い運動といった・・・。
ひととおり動いて、すぐそばの木陰の下でみんなで朝食を取り始めたのです。

場所があくと入れ替わりに今まで休んでいたおじさんが刀を持って登場した。
刀の飾りのフサフサの多いこと。バッサバッサ音がするほどの量である。重くないのだろうか・・・?
木製の刀なので重くしようとしてつけたのだろうか・・・?(武器は軽いとかえって扱いづらい)
終わると、このおじさんは棍棒を始めました。私は棍棒を持ったこともありませんが、
最初の動きが、横に立てて構えてる棍棒をけったぐるところから始まるのです。
そのけったぐりがカッコいい!「おお!いいじゃん!・・・やってみたいー♪」

 バッサバッサ・・

 棍棒を操る


このことを先生に話そうものなら「あなたは形ばっかりで!」と言われるのがオチだろう。
以前も北京で見つけた「へび皮の剣が欲しかった」という話をしたら、
「道具を持つ前に技術なんじゃないの!」と言われてしまったし・・・。
もっともですが、もしもに備えて持ってたっていいじゃないの?
それに私は携帯用の‘折りたたみ剣’は持ちたくなかった。
持たないことが私のささやかなポリシーなのだ!
道具を持たなきゃ、技術も始まんないじゃないのか?が、私の意見です。
道具は、折りたたみや、木刀ではなく吟味したい。それは高級品という意味ではなくて、形なんです。
私にとって、折りたたみは剣ではないし、木刀は刀ではないのです。
「形から入る」これもアリではありませんか?‘形’をしっかり(拳も)することが先決とも思っています。
技術の向上が先と言われたら、私なんか、一生持てそうにないではないか。
「買える時に買っておこう」・・・そこんとこヨロシク。

先生と私のこと
太極拳には‘競技大会’なる大会がある。
先生は、この競技大会に出場し、毎年優秀な成績を修めている。
すでに実績があるし、さらに上位を目指して努力をおしまない。太極拳の目的がはっきりしてるのだ。
はっきりとした太極拳の良し悪しの基準を、先生は持っています。
中国の武術大学に教わりに行ったりもしています。
私は朝の公園で‘師匠探し’なら大いに興味があるのだが、大学で習う太極拳には興味がない。
先生は私が太極拳の右も左もわからない頃、太極拳のイロハを教えてくれた最初の先生でした。
同期生がいない私にとって「最初の動き」を見ている唯一の「生き証人」なのであり、私にとって特別の先生なのです。
そして、自慢の先生でもあるわけです。
そんなわけで、何を言われても先生には、いっこうに頭が上がらない私なのである。

先生は私が「すぐ怒る、ふくれる」と言って‘トラフグ’というあだ名をつけています。
この温厚で、柔和で、優しい「仏のtuzi」の異名を持つ私が、「すぐ怒る、ふくれる」はないのですが・・・。
私が本気で怒ったら、先生の言うように‘ふくれて鼻の穴おっぴろがったり’しないはずです。
怒りのあまり‘無表情になって黙る’‘病的に弱弱しく笑う’かでしょう・・・。
しばらくたってからあ!と、何も言い返せなかった悔しさが込みあがり、一睡もできなかったり・・・。

太極拳の恩恵
私は「太極拳を始めてから健康になった」という人の話を聞くのが何よりも嬉しいことです。
「持病の腰痛が消えた」とか「自律神経が不安定だったが治った」とか
「風邪をひきやすい虚弱体質が改善された」などなど・・・。
これぞ太極拳の最大の恩恵ではなかろうか、といつも考えている。

ところが事私のことになると、まったく逆で「健康だったはず」なのに、太極拳を始めたことで、「故障」が起きている。
例えば、腰痛。元々、長時間立っていたり、歩きどおしだと腰が痛くて立っていられなくなっていた。
そして、これは年齢を追うごとに耐久時間が短くなってきているのだ。
さらに、太極拳で腰をひねり(動き方が悪いため)急激に痛めたり・・・腰よりも深刻なのが、膝である。
痛めた原因はわかっていても、直すのが困難で、かれこれ膝痛に悩まされて3年になる。
痛くても、太極拳を休んだことはない。このことが悪化させているのだろうか・・・?
いろんな太極拳の先生に相談してみましたが、結局「自分でなんとかするしかない」という返答しか返ってこない。
そんなわけで、先生方に相談するのもやめてしまった。

この旅行で、先生に私の膝痛の話をした。その回答の中に「目から鱗が落ちる」言葉がきけたのだ。
「触ってみる」というのだ。
私が思うに、体が緊張していることでその部位に負荷がかかり、痛みとなっているのだろうと思う。
緊張していても自覚のないことが往々にしてある。体が硬い私はなおさらだ。
「そうか・・・触ってみる、か・・・ふーん・・・なるほど」
努力を惜しまない人の言うことは違うなあ、と感じたしだいであった。

太極拳の評価
太極拳の追求に終わりはありません。
競技大会などの存在も知らず、毎朝の運動のためと続けている人たちが羨ましい。
大会の存在を知ってしまうと、‘凡人’の私などはつい誘惑に負けそうになる。
‘達人’ともなれば、それさえも達観できるのでしょうが・・・。

太極拳の評価はどのようになされるのか・・・?(自問)
競技大会の点数で決まる? それとも自己満足?(自答)
太極拳を「点数で評価」されるのと、「自己評価」には開きがでてくるでしょう?
真の評価など存在しないのではないのでしょうか?
そもそも、太極拳に‘良し悪し’が存在するのでしょうか?
私は、太極拳の良し悪しなど存在しないし、評価されるものでもないと思っていますが。
ケ小平も言ったように「太極拳好(ハオ!)」でよいと思っているのです。
どんな人の太極拳にも必ず光るものがあります。
私は練習を見られるのを極端に嫌います。録画などもってのほか。
太極拳は見るものでも、見せるものでもない。一緒に動いて感じるものだと・・・。

競技大会では、太極拳の良し悪し(?)を点数で判定され、順位が決定します。
競技大会で良い成績を修めるには、それ用の良いと判定される動きをマスターしなければならない。
学生の「受験のための勉強」と似ている。私はこういった競技大会に出場したことも、見学したこともありませんが、
興味だけはある。だからといって、「出場するからには良い成績を取りたい!」とは、思わない。
今の私の動きが第三者の目にはどのように映るのか興味があるのです。

私も愛好者のひとり
・・・とまあ以上のようなことを、この公園の人たちを見て思ったのである。
せっかく、天然の木陰があって、地面はコンクリートで、理想的な練習場がありながら、
「チャチャッと動いて終わり?・・・休んでないでしっかり練習したら?」
「もっと、気を入れて動けないの?」と思ってしまうが、余計なお世話。
別に大会に出場するわけでもないし、単なる朝の運動なんだもの、健康のためなんだもの・・・。

思えば、私もそうなんです。練習だけで、本番がないんですから。
誰に見せるわけでもない。誰が見てくれるでもない。誰かが見たいと言うわけでもない。
そんな私が上手になってどうするというのだろう?
そもそも上手って何?太極拳に上手下手があるの?良し悪しがあるの?
自己満足?誰が認めるというの?誰に評価できるというの?
先生は私に「趣味でしょう?」と言う。私にとっての太極拳はなんなんだろう?
今の私にとって太極拳は食事、睡眠と同じ、生活の基本であって最優先。
趣味、と言われると、果たしてそうなのか?、と思ってしまう・・・。
私にとって、太極拳は趣味というより、生活そのもの。
仕事しながら太極拳のことを考え、ご飯を食べながら太極拳のことを考え・・・
電車の中で太極拳の本を読んで手足が動いているような・・・
お金と時間があれば迷わず太極拳修業をたっぷりしたーい。これって、やっぱり趣味でしょうか?

著名な武術家や、競技大会のタイトルを持ってる人以外にこそ、真の‘達人’が潜んでいると私は信じています。
‘達人’にタイトルはいらないのだ。だって、‘達人’なのだから・・・。
そういったタイトルを超えたところに、太極拳の真髄があるのだから。
いつの日か、人知れず埋もれてる‘達人’に出会いたいと思う私です。
はっきりした目的意識もなしに、体の故障を抱えながらも「好きだから」だけで続けている私のような者には
‘達人’を見る目がないだろうか・・・。


とまあ、ゴチャゴチャ言ってても始まりません。修業あるのみ!打つのみ!
そうしているうちに、何かが見えてくるでしょう!見えてきて欲しい・・・

・・・たとえ一生、何も見えてこなくても、これだけははっきり言えます。
「私は太極拳愛好者です。みなさんと一緒に太極拳してもよろしいですか?」と。


        (追記)
      1.競技大会について。
         競技大会を否定するつもりはもうとうありませんし、その好成績者の方々の太極拳を非難するつもりも
         ありません。
         むしろその努力に拍手を贈り、羨望のまなざしを持って見ている私です。
      2.武器について。
         あくまで‘私個人のこだわり’を述べたに過ぎず、簡易的な武器を持つ人を否定的な目で見ているのでは
         ありません。
         大げさな誤解のないように。


2001年太極拳in台湾完


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