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故宮博物院(4) 山水画

<このページには私が実際見たもの、見たかったものを集めています>
(館内は撮影禁止ですので、写真は資料からの転載です)

2階 絵画

山水画
(区分けは私の独断です)
第1期・技法
 時代                  作品名 と 画家
  唐    「匡櫨図」(きょうろず)  荊浩(けいこう)

唐代に入ると山にこもって描く文人が出現する。荊浩もそのひとりである。
仙人から画法を学んだと言う。
「匡櫨図」は墨一色で描かれた‘水墨山水’で最も古いといわれている。
   「秋山晩水図」 関同

関同は荊浩の弟子。
樹木を描くのが得意で、墨で輪郭をとって中を絵の具を使って彩色した。
五代十国    「江行初雪図」 趙幹

            
分かりずらいでしょうが・・・

中央に川の流れが描かれており、
手前下に船に乗った人物が数人。
上部には葦の茂みが風にそよそよ
揺れている・・・
川のさざ波や、葦の茎、風に揺れる枝が 
神経質なまでに克明に描かれている。
(絵は一部分です)

幅30cm、長さ4m、長江の初雪の風景を描いた大作。
経歴も伝わらない名も無い画家、画院で最も低い身分‘学生’の頃に描いた一枚。
趙幹は川の絵ばかり描いていたというが、現存するのはこれ一枚のみ・・・
描かれた人の数が異常に多い。精密に描かれた波・・・
白い絵の具を口に含んで吹き付けた雪・・・。
これまでの技法と新たな工夫で描かれたこの作品は、
絵画の歴史の中でひとつの区切りの頂点と考えている。

10世紀に中国では風景画が確立した。
西洋で風景画が描かれるようになったのは17世紀であるから、
その700年も以前から中国では描かれていたのだ。
「江行初雪図」はこの後の中国絵画をリードする一枚となった。

私はこの絵が是非見たかった。
テレビの画面では全体像が掴めないし、質感だって違うもの。
臨場感だってまるで伝わらない。

第2期・主観
 北宋    「谿山行旅図」(けいざんこうりょず)  范寛

     

河北の山、細い滝(右側)、画面から静けさを感じる。
墨を何度も塗り重ねている。范寛の傑作。
1000年も前にこのような芸術が生まれている、中華文明恐るべし。
   「層巖叢樹図」(そうがんそうじゅず)  巨然

江南の山、江南特有の風景を輪郭もおぼろに、ぼかしの技法を用いて描いている。
范寛と同時代でありながら、范寛の男性的な描き方とは対照的に巨然の方は
柔らかく女性的な印象を受ける。
北宋末期    「早春図」 郭煕(かくき)

     

山水画の改革期の幕開けとも言える一枚ではなかろうか。
従来の‘写実’から画家の‘主観’を前面に出した一枚。
河北の山をぼかしの技法であらわしている。
風景ではなく‘春の生命力’そのものを描こうとした。

第3期・焦点
北宋末期    「谿山清遠図」(けいざんせいえんず)  夏圭(かけい)

     

長さ9m、江南の風景。たっぷりした余白をとる。
   「雪灘双鷲図」(せったんそうろず)  馬遠

冬の風景。
この頃から、余白をたあっぷり取って描き手の主観をより強調するようになった。
具体的には、描き手の心を捉えた一点に視点が集中している。

第4期・創造
 元     「漁父図」 呉鎮(ごちん)

元時代に入ると画家の個性が際立ってくる。
元はモンゴルの漢民族の支配であったから、漢人にとっては屈辱ともいえる時代であった。

昔から画家の多くは世を捨て山野にこもる人物がみられる。
山水画のほとんどは川、山を描いた作品が多く、季節であれば春がダントツトップ、次が秋。

呉鎮は、浮世を憂いて山野にこもった文人官僚とは異なっている。
初めから人物そのものが風変わりだったし、当時としては題材も一風変わっている。
呉鎮は早くから学問を身につけたが、官僚にはならず孤高の人生を送った人である。
「魚父図」は夜の風景です。
人間嫌いで人との交わりを断った呉鎮の孤独な心の風景のような気がしてならない。

心を研ぎ澄ませて‘写意’(心を映すこと)したようで、静まった夜の川にたったひとり
船をだし魚をとる老人・・・
呉鎮は街頭易者として貧しい暮らしを送りながら絵を描き続けた。
呉鎮自作の詩があります。

西風繍繍下木葉

江上青山愁万塁

夜深船尾漁溌剌

雲散天空烟水闊
   「具区林屋図」 王蒙

空が無い。岩や木々のみで、緊迫感が襲う・・・息苦しい。
   「富春山居図」 黄公望

     

40歳を過ぎた頃地方長官になったが、汚職事件に巻き込まれ投獄された。
保釈後は決して仕官せず、放浪を始めた。
その間は占いで身を立てていたが、山々を歩いているうちに自然の雄大さを
伝えようと50歳を過ぎてから絵筆をとった。

紙と筆を持ち歩きいつも長江沿いをスケッチしていたという。
その時のスケッチを79歳から82歳の3年間で長さ6mの大作に仕上げた。

墨一色で描かれた山水画史上傑作中の傑作は‘墨分五彩’といわれるほど
墨のさまざまな表情を見せている。この絵の中に人間は描かれていない。
「自然の前では人間の営みは小さな存在に過ぎない」と教えている。
さらに驚いたことに、この絵は「理想の風景」(心の内なる表現・想像画)という・・・。

80歳を超えて黄公望が絵を描くにあたって言った言葉があります。
「一本の樹を描くにも文人の気質がなければならない。
表現が過ぎれば、それはただの職人の絵に過ぎない。」
私はこの言葉を聞いて、二胡奏者のお父さんの言葉を連想しました。
「上達の鍵を弦の内に求めても見つかるものではない。その鍵は弦の外にあるのだ」と。


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vol.8