元
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「漁父図」 呉鎮(ごちん)
元時代に入ると画家の個性が際立ってくる。
元はモンゴルの漢民族の支配であったから、漢人にとっては屈辱ともいえる時代であった。
昔から画家の多くは世を捨て山野にこもる人物がみられる。
山水画のほとんどは川、山を描いた作品が多く、季節であれば春がダントツトップ、次が秋。
呉鎮は、浮世を憂いて山野にこもった文人官僚とは異なっている。
初めから人物そのものが風変わりだったし、当時としては題材も一風変わっている。
呉鎮は早くから学問を身につけたが、官僚にはならず孤高の人生を送った人である。
「魚父図」は夜の風景です。
人間嫌いで人との交わりを断った呉鎮の孤独な心の風景のような気がしてならない。
心を研ぎ澄ませて‘写意’(心を映すこと)したようで、静まった夜の川にたったひとり船をだし
魚をとる老人・・・
呉鎮は街頭易者として貧しい暮らしを送りながら絵を描き続けた。
呉鎮自作の詩があります。
西風繍繍下木葉
江上青山愁万塁
夜深船尾漁溌剌
雲散天空烟水闊
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「具区林屋図」 王蒙
空が無い。岩や木々のみで、緊迫感が襲う・・・息苦しい。
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「富春山居図」 黄公望
40歳を過ぎた頃地方長官になったが、汚職事件に巻き込まれ投獄された。
保釈後は決して仕官せず、放浪を始めた。
その間は占いで身を立てていたが、山々を歩いているうちに自然の雄大さを伝えようと
50歳を過ぎてから絵筆をとった。
紙と筆を持ち歩きいつも長江沿いをスケッチしていたという。
その時のスケッチを79歳から82歳の3年間で長さ6mの大作に仕上げた。
墨一色で描かれた山水画史上傑作中の傑作は‘墨分五彩’といわれるほど墨のさまざまな
表情を見せている。
この絵の中に人間は描かれていない。
「自然の前では人間の営みは小さな存在に過ぎない」と教えている。
さらに驚いたことに、この絵は「理想の風景」(心の内なる表現・想像画)という・・・。
80歳を超えて黄公望が絵を描くにあたって言った言葉があります。
「一本の樹を描くにも文人の気質がなければならない。
表現が過ぎれば、それはただの職人の絵に過ぎない。」
私はこの言葉を聞いて、二胡奏者のお父さんの言葉を連想しました。
「上達の鍵を弦の内に求めても見つかるものではない。その鍵は弦の外にあるのだ」と。
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