2月23日(日)晴れ
太極拳in香港(4) アンダーバーをクリックしてご覧下さい
日曜日も特訓じゃ!
インターホンで苦戦
試合も終わって、安心したことでもあるし、今日は師父の自宅を訪問してみようと思う。
今日は日曜日だから誰か家にいると思う。今回は私が香港に来ていることも、知らせていない。
師父の家も私は行ったことがないので、住所を頼りに訪ねる。
師父の家は地下鉄で5つ目にある。
2000年に夕飯をご馳走になった時、ここの駅には降りたことがあった。
その時は師父の家のクーラーが壊れていたので、駅から近くのレストランに連れて行ってくれた。
私は暑くても構わないから、師父の家に行きたかったのだが・・・
というわけで、家の場所はわからない。
駅に降りたら、いつもの事ながら、すごい人だ!
日曜日なので、歩行者天国の通りには露店が立ち並び、人がごった返している。
私はわき目もふらずに師父の家をめざした。
住所によると、人がごった返しているこの通りに師父の家があるはずだ。
私はビルの番地をたどった・・・75・・・78・・・番号が増えていく・・・師父の家は125。
110・・・115・・・もうすぐだ!・・・という矢先!通りが切断しているではないか!
たとえて言うなら、ホシを追ってきた警察犬が、川に行く手を阻まれた感じ・・・
「はあ?」横に走ってる通りの向こう側ってことなの?
通りを渡って、番地を追う・・・
「はあ?」住所の通り名と違ってしまった!125番地はどこ?
仕方なく一本筋違いの通りに向ってみた。
ビンゴ!通りはまっすぐではなく、分断されて段違いになっていた。
「ふう・・・よかった・・・」ラッキーだった。
そして、師父の家に到着。
マンションの入り口にインターホンがあって、それで訪ねる人を呼んでドアの鍵をあけてもらう。
うーむ、私、広東語できません。英語か?・・・中国語か?・・・
師父の家は最上階の7階だ。見上げたら、窓があいている。誰かはいるはず・・・。
ボタン7を押す。
プルルルル・・・プルルルル・・・プルルルル・・・(いないのかな?)プルルルル・・・ガチャ。
「jふぃgrじゃkぎrj・・・(広東語)」
「Hallo my name is tuzi , I'm Japanese・・・」
「skfjこrjgんmdj(広東語)」
「Hallo!・・・I'm Japanese・・・tuzi!」
「dなjrgpl(広東語)」
「・・・・・・・・・・・」
ガチャン!(インターホンが切れた音)
開けてくれたのかな?ノブに手をかけてみる。・・・開いてない(泣)
さっきのは奥さんかな?お手伝いさん?
私は、通りから最上階を見上げた。「私のこと忘れちゃったの?開けてよう・・・」
私はお土産の袋を手にぶら下げて、恨めしく最上階を見つめた。
いや、いや!こうしてはおれない!再度挑戦!今度は中国語(北京語)でいこう!
プルルルル・・・プルルルル・・・プルルルル・・・ガチャ。
「jふぃgrじゃkぎrj・・・(広東語)」
「我是tuzi、是日本人」
相手の声のトーンが急に高くなった、
「tuzi!」
カチッ!(鍵が開いた音)
「開いた・・・やっと、わかってくれた・・・」
私は泣きそうだった。なんだか知らないけど本当に涙が出てきてしまった。
わかってくれたから?もうすぐ師父に会えるから?いや、生きているとは限らないぞ。
既に覚悟はできている。いずれ、もうすぐハッキリするのだ。
7階まで階段だ。3階まで登ったところへ奥さんが下りてきてくれ迎えてくれた。
私は本当に涙が出て困った。ハンカチで涙を拭き拭き登った。
こんなことで泣いてるのがバレたら、めちゃくちゃ恥ずかしいやんけ・・・(泣)
それにしても、私はどうして泣いているんだろう?自分でもわからなかった。
奥さんは相変わらず明るい。
なんか言ってるが私には分からない。
たぶん、階段が大変でしょうとか、突然でビックリしたとか言ってるように思うのだが・・・。
そして師父は・・・?
玄関のドアに到着。
パジャマにダウンジャケットの師父が立って待っていてくれた。
生きてた!よかった。本当によかった。2000年別れる時「again」と言ったじゃないか・・・(泣)
私はお墓参りの覚悟もしていたが、会えてほんとによかった。安心した。
私は生きてるのが確認できたから、もう本日のノルマ達成!って感じだった。
19日に香港に来たこと、毎朝公園に行ったけど会えなかったので心配していたこと、
以前会ったおじさんに、師父のことを聞いたら、2年前から来てないと言われたことなどを話した。
師父は心臓がの具合が悪くなってから、運動ができなくなったという。
「心臓?2年前から?」
師父は2年続けて入院したという。でも、今は落ち着いてると言った。
私から見ると、3年前と比べて痩せてないし、顔色も悪くない。ただ、呼吸の音がしていた・・・。
これでは太極拳は無理だ。もう二度と太極拳はいっしょにできないと思った。
「病院に行ってるの?薬は飲んでるの?見せて」
薬の量は半端じゃなかった。こんなに飲んで却って具合悪くなるんじゃないの?ってくらい・・・。
全部錠剤。胃まで悪くなりそう。師父は83歳の高齢だ。
病気と言うより、高齢で体が弱ったのだと私は思う。これは自然の成りゆきなのだと。
だから、この先元気回復!なんてことは起こらないのだ。
とにかく体力を温存して長生きして欲しいと願うばかりだ。
そして、昨日は試合に出たことも話した。
「成績はぜーんぜん良くなかったのよ(笑)それに日本人は私ひとりだったの」
師父はいつものように穏やかな微笑みで聞いていた。
2000年の教授が最後となりました。師父は二度と太極拳を打つことはないでしょう。
でも、不肖ながら私めがあなたの太極拳を見ています。
あなたの太極拳を知るのは、世界広しといえど私ひとりです。私は師父の動きを決して忘れません。
間違ったおみやげ
日本から持ってきたお土産を渡す。中にまたも、間違いがあるとも知らずに・・・。
師父は甘党だ。酒、タバコはやらない。修業者の鏡のようなお人である。
だから、日本のほうじ茶、抹茶入り玄米茶、ココア、そして近所の菓子店の生菓子。
草もちも買ってきたのに、それは賞味期限もとっくに過ぎて、今朝試しに開けてみたら、
白カビが生えていた。生菓子だって、早く食べないとカビが生えちゃうぞ!
「これは、早く食べてね。早くね!」
奥さんは、さっそくあけた。
「ちょっと見せて・・・」
もしかしたら、もう食べられないかも・・・?
「うん、大丈夫!早く食べてね」
奥さんは師父にもすすめたが、食欲がないのか食べようとしなかった。
塗り箸、茶匙。「これでね、茶葉を急須に入れるのよ」
そう言うと、奥さんは何年か前に私が贈った急須を出してきた。
「そうそう、これに茶葉をすくって・・・こう入れて・・・」
2000年、師父夫妻に小旅行に連れて行ってもらったとき、師父のカメラが壊れていた。
電池がなかっただけかもしれないが。
だから、私はカメラをプレゼントしようと思って、日本に帰ってすぐ次回に向けて
買って用意しておいたのだった。
でも、そんな元気もなくなった師父にカメラは無用になってしまった。
2000年は私よりも早く長い階段をシャン、シャンと登ったのに・・・
カメラは失敗だったな。
娘登場
私はとっても美味しい「大根餅」をごちそうになったが、師父はお昼だというのに食事をとらない。
食が細くなっているのだろう、薬膳スープを飲んだだけだった。
昼寝をしなければならないのでは、と思い「休んで下さい。疲れたでしょうから」と言ったが、師父は律儀な人である。
大丈夫だ、と言ってきかなかった。
私もガンコである。「いーや、疲れたでしょうから、寝てください」と譲らない。
私のようなものでも客だと思ってくれているのだろう、師父は寝ようとしなかった。
「寝てください!横になってください!頼むから!」
そこへ、電話で呼び出された娘登場!娘さんは会社を経営しているキャリアウーマンだ。
話しには聞いていたし、2000年には事務所にも行った。
当時N・Yに行っていた娘さんとは初対面である。最近は日本にも商談で行ったと言う。
「東京へ?ビジネスだったのね?」
「そう。でも一日だけ北海道にスキーに行ったのよ」
「スキー?それだけのために?ひとりで?」
「ええ」
「ふーん。北海道は雪がいいから気持ちよかったでしょう?」
「ええ。それに、日本の人はみんな親切ね」
こんな話をしながらテーブルの見たこともない果物をお腹いっぱいごちそうになってしまった。
日本ではお目にかかれない果物ばかりだった。
中にはほろ苦いのもあったが、どれも実に美味しかった。
師父は薬膳スープを飲んだだけで、食事をとらなかった。食が細くなっているのだろうか・・・?
師父は娘さんの後押しも手伝って、ようやく休んでくれた。
娘なんだから
「私はあなたのお父さんに太極拳を教えてもらいました。
今回も、公園に行ったのですが会えないので、顔見知りのおじさんに聞いたら2年前から姿を見ていないと言っていました。
さっき、聞いたら心臓が悪いのだそうですね」
「そうです。2年前の冬に入院しました」
「どのくらいの期間ですか?」
「2週間ほどです。冬になると悪化して去年の冬も入院しました」
「去年はどのくらいの期間ですか?」
「やはり、2週間ほどです。心臓と肺が悪いのです」
やっぱり、どうりで呼吸の音がすると思った。
「今年は、入院してません」
「手紙や、年賀状を出しても返事が来ないので心配してました。入院したのですね・・・。
ところで、師父は今年83歳ですよね」
「えっと・・・そうです」
「誕生日は何月ですか?」
「えっと・・・12月・・・あれ?あっそうそう、確か12月」
「何日ですか?」
「16日か18日」
「おい、おい。娘なんだから覚えておこうよ!でも、12月生まれですか・・・
私はてっきり5月頃かと思っていました」
師父の名前の意味は‘樹が香る’という意味だから。人は生まれた季節に還るといいます。
12月生まれだとすると、冬に体調を崩すということも、うなづける話しだ。
さようなら
師父にあいさつできなかったが、私は娘さんといっしょに家をでた。
日曜日に来て正解だったようだ。奥さんは4時以降にならないと家にいないのだそうだ。
奥さんは娘さんの事務所で経理をしています。
そして、師父は寝ているし、起きていても耳が遠いのでインターホンが聞こえないとのこと。
また、私が来る時まで生きててね。
入院しててもいいから生きててね。病院に会いに行くから。
お願いだから、お墓参りだけは勘弁ね。
出会いと粘り
「太極拳のVCD見たいんだけど・・・」
「どこにあるかなあ・・・」
この街は日本でいう‘秋葉原’みたいなもんで、電化製品が安く、そういった商店が集まっている。
押すな押すなの人ごみの中、電化製品を見ていたら、日本円で400円ほどのマウスを発見!
「安い!買っておこう」私はパソコンで仕事をしている。マウスは消耗品である。
ひとつといわずふたつ買っておこう、っと。
日本に帰ってこの話をしたら「秋葉原には100円マウスがあるぜ」と言われてしまった。
安い買い物だと思って喜んでいたのに、そうでもなかったのね・・・(涙)
娘さんを先に帰して、私はひとり街に残った。
以前、師父に夕飯をご馳走になったビルに行ってみようと思ったのだ。
そこは複合ショッピングモールなので何か掘り出し物があるかもしれないと思ったのだ。
「娘さんより私のほうが鼻が利くかも・・・」特設会場のVCD販売場で私はみっけた!
楊振鋒。伝統楊式、超豪華6枚組!!
欲しい!何としても手に入れたい!
「これ、いくらですか?」
「228ドル」
「高いでしょう?」太極拳VCD1枚35ドルとして妥当といえば妥当なのだが・・・。
「6枚なんだよ。高くないよ」
「いーや、高い!」そう言いながら箱を放さない私。
「ちょうど200ドル!」
「だめだよ、210ドルでどうだい?」
「ちょうど200ドル!」こちとら、いったん言った事は譲んないぜ。
私は日本人で、もうすぐ帰るんだ。だから200ドルで譲ってくれ・・・と説得。
「よしっ。わかった。200ドルにしてあげる」
「ありがとう!」
高い買い物だったが、ここで会ったも何かの縁!
ミラクルだ!
日本に帰って楽しみに封を切った。
さすがに、こんなに気品漂う楊式は、これまで見たこと無かった!
上品で格調高い楊式でした!
再び沙田へ
今晩、7時30分から10時まで「沙田ホール」にて太極拳の表演会がある。
今大会開催期間中で一番盛大な表演会である。
場所も沙田駅から目と鼻の先なので、この表演会だけは見に行こうと考えていた。
いったん、地下鉄でホテルに戻り、広九鉄道駅から沙田に向う。
何かと時間に忙しい一日になってしまった・・・
「沙田表演会」 アンダーバーをクリックしてご覧下さい
中国全土から集結した重鎮大老師の表演会。そこで私が見たものは・・・?
vol.90
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