2月20日(木)晴れ
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師父は元気だろうか・・・?
沙田へ
沙田へは1998年、お寺を見に行ったことがある。
その時初めて広九鉄道に乗ったのだ。駅への道も乗り方も知っているから問題ない。
大会本部の住所は‘沙田馬鞍山’とある。
「おそらく駅を下りて歩いていけるところにあるのだろう」そう思っていた・・・。
沙田駅は5年前とは違って大きく進化していた。
駅に隣接しているショッピングセンターは増築されて面積も何倍にもなっている。
「ひらけたのねえ・・・」と唖然としてしまった。ところで‘馬鞍山’へはどういけばいいのだろう・・・?
いったん駅ビルから外に出て誰かに聞こう。
正面のポーチで‘太極扇’の練習をしている団体がいた。
「この人たちに聞けば、わかるかも・・・」と思ったが、話しかけられる雰囲気ではなかったので横目に通り過ぎた。
バス停にいた女の人に聞いてみる。
「私、‘馬鞍山’に行きたいんですけど、どういけばいいですか?」
「‘馬鞍山’は遠いわよ。バスで行かないと。歩いてはいけないわよ」
「えーっ!?そうなんですか?・・・歩いていけないんですか?」
「ええ、駅に戻ってバスプール行って聞いた方がいいわね」
・・・そうなんだ。遠いのか・・・。
駅に戻りかけたら、さっきの‘太極扇’の練習をしていた人がひとり駅に入って行った。
チャーンス!
「あの、すいません。私、‘馬鞍山’に行きたいんですけど、どういけばいいですか?」
「‘馬鞍山’なら299番バスに乗って。バスプールの下り口までいっしょに行きましょう」
そして299番バス停発見。
「どこで下車すればいいんだ?」しかもバス代が9ドル。高いやんけ。私の所持金は・・・
ゲッ!20ドル札しかないよ・・・香港のバスは先払いで、お釣りはでない。
後ろに並んだおっちゃんに細かくしてくれと頼んだら、ないと言われてしまった。
その後ろの人もないと言う・・・そうこうしているうちバス到着。
運転手のおばちゃんに「これしかないんだ」と20ドル札を見せた。
「バス代はあとでいいから乗って」と言われ、とりあえず乗車。
それにしても本当にこれで行けるんでしょうか?
座ってろ!と言われても不安な私はまたも運転手のおばちゃんに「ここに行きたいんだけど・・・」と念を押す。
「わかったから、着いたら知らせてあげるから」と言われ、やっと安心。
さっき、後ろに並んでいたおっちゃんとそのまた後ろに並んでたお姉さんとでお金を細かくしてくれた。
「払って来い」っていうから、席をたったら運転手のおばちゃんには
「危ないから座ってろ」って言われるし、どないせえっちゅうねん!
ところで、バスはどこまで行くんだ?お姉さんが言うには15分くらいらしい。
「遠いやんけ・・・」
橋を渡り、郊外に向っている・・・。
山が見えてきた。「ああ、あれがもしかして馬鞍山ね・・・競馬場がある。なるほどね・・・」
ずいぶん遠くへ来たもんだ。
大会受付
バスを下りて、通りの標識を頼りに番地をたどった。
めざすは2号だ。「5号・・・4号・・・3号、あらっ?終わってるよ!なして?2号はどこじゃ?」
通りすがりの方に聞いてみる。
「2号はどこなんでしょう?」
「あの建物よ」
その建物には大相撲のノボリのような旗がパタパタと何本もはためいていたのでした。
近くに行ったら、それは今回の大会の旗だった。周囲の塀には参加団体の横断幕がビッシリ!
・・・河北省武術館・・・天津武術隊・・・北京体育大学武術隊・・・香港陳式太極拳科学研究院・・・
湖北省体育運動学校・・・河南省武術院・・・きわめつけ!・・・永年太極拳研究院・・・
「(あたしゃ、こういう人たちと競うのかい?)」
河北、河南といったら太極拳のお膝元だし、永年っていえば楊式発祥の地なんだぜー。
「(闘う相手が・・・でも、考えてみればそうだよね・・・ここは中国なんだし・・・)」
もちろん、少林寺武術学校の名前もあった・・・少林と聞いただけで震えるっツーの!
私はここにきてようやく悟ったのである。
恐らく大会には、選抜された精鋭たちがチームを組んで、コーチがついて
選手たちを引率してくるのだろう。
「(ってことは、個人は私だけ?)」
建物は厳重に警備されていて、徒歩でやってくるのは稀のようだった・・・。
私は応募要綱のコピーを見せて「手続きに来ました」と説明し入れてもらった。
手前の建物に入って受付カウンターで同じように応募要綱のコピーを見せて
「手続きに来ました」と説明したら、場所が違うという。
「へ?」
たまたまカウンターにいた女性が「私が案内するから、ちょっと待ってて」と言われ、仕方なく座って待っていた。
「(受付って、ここじゃないの?またバスだなんてやめてよー)」
案内してくれるという女性に連れられて別の建物に移動した。
「(あーら、他にも建物があったのね・・・)」
「私はね、ここで太極拳のコーチをしてるのよ。あなたはどこから来たの?」
「日本です」
「えー!?日本から?いつ?」
「昨日です」
「ここに滞在するの?」
「(えっ?そんなことできるの?)いいえ、ホテルに滞在してます」
「いつまで?」
「2月28日に帰ります」
「日本に住んでるの?」
「そうです」
なーんてことを話しながら、受付に到着。
受付は今日と明日の午前中までなので、選手団の到着は日程によれば明日なのだ。
大会開催は22日午前の開会式から、4日間にわたって、全3会場で試合が行われる。
だから、今日は私ぐらいしか、この部屋にいない。
受付を済ませ、部屋を移動し、ゼッケンと名簿をもらう。それにIDカード。
カバンとキャップまでついてる。
「(これは本格的、参加費が高額なだけある)」
私の出場はあさって22日(土)午後2時から、香港島のワンチャイにある室内運動場。
「さあ!これで、あとは出場するだけだ!!」
長い道のりだったよ・・・
本日のノルマ達成!ここまで本当にお疲れさまでしたって感じ・・・
ここはどこ?
やっと、大会のすべての手続きが済んで安心した私は、急におなかがすいてきて、
沙田で何か食べてから帰ろうと思った。(98年に来た時は駅でお茶して帰った)
ところが、駅ビルはすっかり様変わりしていて、スターバックスだのマクドナルドだのしか見当たらない。
そんなのに用はない。もういい!とりあえず帰ろう!
沙田から広九鉄道で戻った私は、駅から香港大学沿いのデッキを歩いていた。
デッキは放射線状に何本かのびていたが、「一本間違ったって、どうにでもなるさ」と来た時とは違うデッキを歩き続けた。
なんだか、あらぬ方向に進んでしまって、遠回りになっちまった・・・と思いながらホテルの方向に向いはじめたが、
街中は道路も建物も工事中の現場が多い。
結局行き止まりで戻れなくなってしまった・・・。
「うっ!なんだよっ!」私はあきらめて、またデッキに戻ることにした。
それにしても、おなかすいたよー。信号待ちしながらフト見ると、「雲呑」の文字。
「雲呑」はワンタンのこと。「よしっ!」私は迷わず店内へ。「ワンタン下さい」「麺は何にする?」
香港の麺は細いビーフン麺、中くらいのソバ麺、太いうどん麺、平たいきし麺・・・種類が豊富だ。
「えー、なんでもいい」というと、おにいさんは「きし麺」を手にとって「これでいいか?」と言った。
「はい」おなかに入ればなんでもよかった。
でも、食べたい時にすぐ食べられるところが、やっぱ中国のいいとこやね。
元気回復、さあ戻ろう!
しかし、あれはどこだったんだろう?あとで地図を見てもわからずじまいの私だった。
千とtuziの神隠し・・・
腸粉いろいろ
滞在初日なので、軽く本屋をめぐった。
98年に比べると、めぼしい本は少なくなったが、VCDは結構目にとまるものがあった。
数軒まわってみているうち疲れてきた。午前中の馬鞍山行きで疲れたのだろう。
今日のところは帰ろう。夕飯はホテルの隣の‘多来試’でとればいい。
私は、プラプラ横道に入りながらホテルに向った。
‘白加士街’は下着通りと直行していたり、テイクアウトの屋台があったりで、歩いていても楽しい。
お店には、日本のたこ焼きが出ていたり、流行は串焼きのようだ。
具材がずらりと並んでいて、一本いくらで買える。
私が香港に来て必ず食べるものといえば腸粉だ。なにはなくとも腸粉なのだ。
私は腸粉をテイクアウトすることにした。
私が知っている腸粉はクレープのように蒸した米粉の中に、海老などが入っていて醤油ソースがかけてあるものだ。
だから、注文したらそういうものが出てくるものと思っていた。
ところが!!ここではなんと、海老などの具材はなし!
蒸した米粉がクルクルッと巻かれてあって30cm位のお長さになっている。太さは5cm位。
それをチョキチョキ鋏で切って、「これもかけていいのか?」と聞かれたソースを
全部うなずいてかけてもらったら、全部で3種類のソースになった。
どんな味になったかさっぱり見等がつかない・・・。
そもそも、私が今まで「これが腸粉」と思って食べていたものは、お上品な高級腸粉だったようだ。
庶民派腸粉の味はいかに?
ついでにヤキソバも買って、今晩の夕飯は部屋で食べることにしたのだった。
お味は・・・
庶民派腸粉にかけてもらったソースは、紅いのやら、酢の色やら、ソースの茶やらでたっぷりだ。
「ワーイ、腸粉♪ちょうふん♪チョーフン♪」パクッ!
「うまーー!!っい!!!」やっぱり腸粉はこたえられないっす!
香港バンザーイ!一方、ヤキソバはいまいちだった・・・。
明日は、気功しに行ってから(体験学習)大会の自主練習しようっと。
vol.87
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