武者修業in北京(4)(左のアンダーバーをクリックしてご覧ください)
さようなら。
バス停に向かうはずが・・・
氏隠とあっさりした握手で別れて、私はバス停に向かった。
道々、おばさんと、お姉さんは自転車を転がして、3人で歩いた。
お姉さんは、「仕事は疲れるか?」と聞くので、「ハイ、肩も凝るし、目が一番疲れます」と答えると、
それなら、「時々休んでマッサージしなさい」と目の周りのマッサージを教えてくれた。
さすが中国だ!日本では医者が匙を投げたとなると東洋医学に頼るが、
中国医学というのは日ごろの予防にこそ、その力を発揮するのだ。
もちろん、手の施しようがなくなってからでも遅いことはないだろうが・・・。
日ごろから、中国の人はこういったマッサージ法を使って健康を保っているのだ、と思った。
お姉さんとは途中で別れ、おばさんと私のふたりになった。
「今日は何か予定でもあるのか?」と聞くので「別にない」と答えると、「家に来て昼ごはん食べるか?」と言う。
「いいの?」「かまわないわよ、うちの父ちゃんが用意してるから行こう!」と。
「だって、突然私が行ったら、お父さんびっくりするでしょう?」「しない、しない(笑)」
以前住んでいたという団地から、高層マンションに移り住んだという。
おばさんの住まいはその最上階だった。
エレべーターの中に管理人さんが、編み物しながら座っている。香港でもそうだった。
エレべーターに乗る人をチェックすることで、不審者を管理しているのだ。
だから、住人はみんなこのエレべーター管理のお姉さんと顔見知りなのです。
私は、この時手編みのマフラーをしていた。(私は編み物が大好き)
目ざといエレべーターガールは「あらっ?そのマフラー手編み?」
「ハイ、私が編みました!」と胸を張って答える私。
これで、私もこのマンションに出入り自由の身!?
お父さんの料理
玄関の鍵を取り出し、二重扉を開ける。厳重だ。
「ただいまあー」おばさんが台所で料理中のお父さんに声をかける。
お父さんは突然のお客にも動じない、驚かない。なぜ驚かないか私には驚きだ・・・。
おばさんは、せきたてるように私に「手を洗ってこい」「石鹸で洗いなさい」と言う。
私はまるで子供にかえったような気分。最上階の窓からは‘前門’方面が見えた。
お父さんは、本当に当たり前のように私を迎え、3人でテレビのニュースを見ながらお昼を食べた。
鶏肉の煮込みに、レンコンの天ぷら、面包(パン)、ご飯、きゅうりとトマトのサラダ、白菜の煮物。
お父さんは白酒(パイジオといって、凄く強いお酒)を飲みながら食べている。
私は、今まで中国で美味しいご飯にはお目にかかったことがない。
中国の米は不味い、という先入観があったので手をつけずにいた。
おばさんに「ご飯食べなさい」とすすめられても面包(パン)に逃げていた。
でも、あんまりすすめるものだから、仕方なくいただくことにした。食べてびっくり!
「(おいしい・・・日本の米より美味しいかも・・・)」私の先入観は一気に吹き飛んだのでした。
お父さんは55歳で退職して今や、悠々自適の毎日。
おばさんも50歳で退職し、午前中は太極拳をして、帰ってくるとお父さん手料理の昼食が待っている
これまた悠々自適の充実した毎日・・・羨ましい!
中国では男の人が料理するのは当たり前だし、日本のように抵抗もない。
中国では、共働きがこれまた当たり前なので、手のあいている方が家事をすることになっていて、
基本的に「男女同権」の社会なのだ。私の目には女性の方が強く映ってしまいますが・・・。
このような考えには歴史的背景があります。そうです「文化大革命」です。
この時から、中国は大きな思想改造も行われたといってよいでしょう。
それ以前は、女性の権利も限られ、女性には辛い「纏足」の習慣もあったほどなのですから・・・。
現代は違いますね。徹底して「男女同権」です。
「主婦」なる職業はないし、女性も仕事を持って働いています。中国ではこれ、当たり前!
娘現る!
お父さんの作った昼食を美味しく食べ終えて、お茶を飲んでくつろいでいた。
おばさんは私が家に来てくれたことを喜んでいるのか、ぶ厚い山水画の画集を出してきては私に見せたがる。
「どうだ?」というから「立派ですね」と答えたら、「もってけ!」と言う。
「そ、そんなあ・・・もらえないよ。(本当は重いから、いらなかった・・・ごめんなさい)」と辞退しても
「じゃ、こっちをあげる!」と・・・「こんな、立派な本もらえないよ〜(本当はいらなかった。ゴメン)」
おばさんは、目が悪くて、もう見られないから私にくれるというのだった。
「もってけ!」「もらえない!」「いいから、もってけ!」「いいから、おばさん見なさい!」と押し問答しているところへ、
近くに住んでいるという娘が現れた。
「なんだか、威勢のいいお姉さんだわァ」と見受けた。この娘も私がいることに驚かない。
いったい、ここの家の人はどうなってるんだ?
娘にハッキリ「そんなの、いらないわよ!」と一喝され、ようやくぶ厚い画集はひっこんだ・・・。
画集の代わりに私は、昨日練習していた‘棍棒’の套路のコピーを見つけた。
「おばさんたち、棍棒の練習できていいですね。羨ましいです。」と言ってみたら、「これ、持ってっていいわよ」と。
「本当?いいの?もらっちゃっていいの?練習大丈夫?」と、私が思いのほか喜ぶのを
不思議そうに眺めるおばさんが、私は可笑しかった。
おばさんは、気を好くして、馬先生の書いたコピーもくれた。「ウレシー!!ありがとう!」
高価な画集を断って、太極拳のコピーに大ハシャギする私を「わからん奴じゃ」と思ったに違いない。
中国から見た日本
娘さんは日本に興味があるのか、私にいろんな質問をした。
「日本のどこに住んでいるのか?」「何歳か?」「結婚はしているのか?」「仕事は何か?」
娘さんは42歳、小学1年の息子がいる。
私が「独身だ」と、ガッカリして答えると、「結婚なんかしなくていいわよ!面倒なだけよ、
子供はいうこと聞かないし!」と独身をすすめる。結婚しているからそんなこといえるのだ。
独身のまま歳をとっていないから・・・このまま独りか、という憂いがない人の言うことは万国共通だ。
「子供がわずらわしいのだって、何年かのことじゃないですか?」といっても、
「うるさいだけよ、大きくなったらなったで手が付けられないし、役に立たない」といっこうに譲らない。
「・・・そんなもんかなあ?」私は、古い人間だから‘人として’子孫を残すのは当たり前と考えている。
‘独身でいい’なんて考えにはとてもなれない。独りでいることに罪悪感さえ感じている。
娘さんは、日本から見たら中国はまだまだ立ち遅れ、物価も安いと思い込んでいるようだ。
「私のこの服いくらだと思う?20元(380円くらい)よ、日本じゃ買えないでしょう?」と赤い薄手のセーターをつまんだ。
「買えるわよ!」と、私。
「20元よ!?」
「買えます!日本には高い店もあれば、量販店のように安い店もある。
380円くらいでセーターが買える店もあるんです!」
中国、韓国製がほとんどということは黙っていたが、これを聞いて、お父さんは大きく頷いていた。
娘さんはまだ納得しかねた顔をしている。
「それに、中国と日本の物価はそれほど違わないのよ。中国は変化が急速に進んでいます。
2008年のオリンピックに向けて建設ラッシュでしょ?四合院の取り壊しが始まってるじゃないの!
私はそのことを悲しく思っているんですけど・・・」
「どうして?あんな古くて住みずらい家はないわよ、冬は寒いし、夏は暑いし。
新しいマンションの方がずっと住みやすいわよ!きれいだし!」
「あの建物(四合院)は、北京にしかない建築です。高層ビルや、近代建築はどこに行ってもある。
だけど、四合院は北京でしか見ることができないのですよ。それを壊すなんて・・・私は悲しい」
「だったら、四合院買ったら?買えるのよ!」と、値段を書いてくれた。
「だからあ、高くて買えないでしょ!」「そう?あなただったら買えるんじゃないの?」
日本人は金持ちという感覚をいまだに持っている娘。古きものは用なし、最新式を求めて止まない。
きっと、中国の若い人はみんなこうなのかもしれない・・・。
お父さんは、もう中国は日本と同じところにきたんだ、と悟っているかのようす。お父さん大正解!
「日本は今、不景気で若い人にも仕事がない状態ですよ。もう、お終いよ!ひどいでしょ!」と私。
やっと、娘さんも納得してきたようだ・・・‘日本人は金持ち説’は、もはや神話なのですよ。
携帯電話と職安
日本はもう、お終いだ。私は中国が好きだし、太極拳も好きだ。
だから、中国に仕事さえあれば住みたいものだ、という話をしていた。
恵まれた日本に住みながら、中国に住みたいなどと、変わり者扱いされた私でした。
娘さんは近くに住んでいて、今日は仕事が休みでお昼ご飯を食べに来たのだと言う。
「仕事は何ですか?」「バスの運転手」「休みの日はいつもどう過ごしているの?」
「掃除、洗濯、ごろごろ・・」「あはは、私といっしょだ!太極拳はしないの?」
「今は仕事があるから時間がない。退職したら始めようかと思ってる」
「ふうん、日本では仕事がある人が夜習ってるのよ・・・ところで、いつ退職なの?」
「45歳、あと3年の辛抱よ」「はあ?45歳でリタイヤなの?」「そう、あとは年金暮らしよ!」
「うらやまし〜。私なんか、一生働らなきゃなんないのよ〜(悲)」「だったら、中国来なさい!」
そっか、太極拳がたんまりできるはずだ・・・こういう仕組みだったのか・・・。
娘さんは携帯電話も持っていた。中国の携帯電話はかけた人もかけられた人も料金が発生する。
大変経費のかかる代物だ。おばさん一家の暮らし向きは標準以上のようだ。
娘さんが「私の家にくる?」というので、お邪魔することにした。北京のお宅訪問だ。
途中、職安があった。「見るだけ見てみる?」と連れて行かれた。
全てコンピューター化されて、パソコン入力で職を探すシステムだ。
2002年はインターネット人口1位アメリカ、2位日本、3位中国だが、人口からして中国のIT化は
今後1位になること確実だろう。
セカンドハウス
娘さんの家も高層マンションの最上階だった。造りはおばさんの家と同じ1LDK。
何も荷物がなく生活感がない。元々‘前門’に家があるのだが、そこの胡同(フートン)が取り壊されるまで、
家財道具はメインハウスにあるという。それまで、ここはセカンドハウスなのだ。
だんな様は建築技術者で、一週間の予定で試験を受けに行ってるという。
それをパスしないと仕事ができないのだそうだ。それは大変だ。試験は毎年行われるという。
日本の建築士の試験は合格率が低く、その代わり一度合格してしまえば一生物だ。
なので、「厳しいのね。落ちたら1年仕事ができないなんて」という話をしたら、「試験に落ちる人はいない」という。
「合格率100%!」試験といっても、講習のようなものなのだろう。あーびっくりした。
リビングに大きなテレビ。昼時は‘メロドラマ’これも万国共通だった。
年齢のことで、干支の話になった。娘さんは‘老鼠’(ネズミ)、私は‘兔子’(ウサギ)だ。
‘兔子’のローマ字表記はtuzi、発音はトゥーズ。
トゥーズのトゥーはつばが飛びそうに強く発音しなければならない。
私は「トゥーズ!」と答えたのに、通じなかった。
「トゥーズ?」「そう、トゥーズ」娘さんはお腹を指して「それは、トゥーズよ」と。
中国語で「腹」のことをduziと書き、トゥーズと発音する。
トゥーズのトゥーは息を殺して弱く発音します。
「腹」と「ウサギ」は発音が全くいっしょで、息を強く出す(有気音)か、殺す(無気音)かの違いしかないのです。
私は懸命にトゥーズ!トゥーズ!!
トゥーズ!!!とがんばってみましたが、
どうしてもduziにしか聞こえないようで、わかってもらえない・・・。
「あー!もう!こうなったら最後の手段・・」と、両手を頭に立ててウサギの耳を作り、
ウサギの真似をしてピョン、ピョン飛んで見せた。
「アー!tuzi!トゥーズ!」やっとわかってくれた。これは爆笑だった。
最初からずっと「ウサギ」だって言ってるつもりなのに・・・(泣)
tuziとduziの発音をしてもらったが、私の耳には同じに聞こえた。
やはり、聞き分けられないということは、言い分けることもできないということなのですね。
それにしても、自分の干支も言えないようじゃ困ったもんだ・・・。
このホームページの名前「飛ぶ tuzi」は、辻(つじ)ではなくて、兔子(トゥーズ)なのです!
中国大好き、太極拳大好きのウサギ(私の干支)が世界を駆け、飛び回る!
と言う意味で名づけました。(それじゃ、あんまりカッコよすぎる)
中国大好き、へなちょこだけど太極拳大好きのウサギ(私の干支)が
武者修業で挑んでは飛ばされる!と言う意味でもあります。
‘前門’再び
「さあ、ゆっくりしてしまいました。そろそろ帰ります」と帰ろうとすると、「夕飯も食べていけ」と言う。
「そんな悪いですよ、面倒かけますし」と言って辞退したが、時間も3時を過ぎていて、
今日は何ができるという時間も残っていない。結局お言葉に甘えていただくことにした。
娘さんは、息子を学校に迎えに行ってから、‘前門の家’に向うと言う。
おばさんと私のふたりは一足先にバスで‘前門の家’に行っていることにした。
‘前門’でバスを降りて、途中‘大柵欄’を通って買い物しながら向った。
母に買ってあげた中国製骨董茶碗が欠けていたので、新しいのを買っていってあげようと思う。
茶碗と湯のみがおそろいで買えた。急須も買った。
おばさんと剣を見る。さすが!おばさんは剣のバランスを見ていた。
人差し指一本でバランスの取れる場所で重さもわかるという。
ふーん・・・私なんか刃のしなりと持った感じで重いか、軽いかしか判断材料がない。
バランスを見るという高度な技術は持ち合わせてない。
何本か抜いてみたが、いいものはそれなりに値段がはる。みるだけ〜で終わってしまった。
CDショップで太極拳談義
CDショップに寄った。私は今回の旅行でCDショップを見つけるとさえ覗いていたのだ。
店によって置いている品物にバラつきがあることにも気がついた。
だから、しらみつぶしに入ってみていたのだ。
太極拳のVCDコーナーに行ったら、若いお姉ちゃんが思案顔でVCDを眺めていた。
これから、太極拳を始めたいのだそうだ。
「それなら、24式がいいわよ・・・このVCDよ」と先輩面してアドバイスする私。
おばさんはおばさんで自分の習ってる馬先生をアピール・・・(笑)
おばさんと私の太極拳談義は続く・・・。
「‘推手’ができるようにならなきゃダメよ!」と、おばさんと私は店内で‘推手’をしてみせる。
「でも、その前に‘套路’ができなきゃ、まずは‘套路’よ!」と私。
店員さんも呆気にとられ、おばさんと私の太極拳バカっぷりを眺めていたのでした・・・。
いいなあ、これで彼女が太極拳始めれば太極拳伝道師の面目躍如!
私たちは娘さんが先に着いてるとも知らず、寄り道してはバカっぷりをさらけ出しながら向う・・・。
京劇用品街
「私、京劇が大好きなのよ♪」と歩きながら話していたら、途中に京劇で使う道具を売る通りがあるという。
おばさんがいなかったら絶対に来れなかった通りである。ここは楽しかった。
衣装から、武器から、なんでもある!小売もします。
この通りも開発地域の中にあるから、そのうち新しくなってしまうのでしょうか?
たくさん寄り道しながらのんびり来たものだから、娘さんの方がとっくに着いていて、たっぷり気をもんで私たちを待っていた。
「今まで何してたのよー!」と雷が落ちた・・・ごめーん。
ペットがいた!!
中国で犬が見たければ動物園に行かなければならない、と私は聞いていた。
犬は食用にされるからだ。
ところが!娘さんの家に犬がいたのだ!といっても小型犬でぬいぐるみのようにかわいい犬でした。
中国は本当に変わった・・・犬がペット。姉さんは部屋の掃除を始めた。足で拭き掃除って・・・。
前代未聞トイレ
おばさんが「トイレに行くかい?」というので「行きます!」と立ち上がったら、上着を着なさいという。
トイレは外にあるから寒いという。観光では絶対行くことができないトイレだ。
私は中国で多種多様のトイレに会ってきた。どんなトイレにも抵抗はない。
用が足せればトイレなのだ。形は問わない。
1994年初めて入った北京の共同トイレはオープンだったが、隣との仕切りがあった。
私は「・・・ああ、あんな感じかな?」と想像し、ティッシュを握り締め、おばさんとトイレに向った。
入って私は一瞬固まってしまった。オープンはオープンだ。細長い空間に2本の溝。
溝の上に木の踏み切りが渡してある。先客がふたり。仕切りはない!
相手のウンコもおしっこも丸見え・・・おならだって、もちろん聞こえる。
ここに住んでいる人たちだけが使うトイレだ。これじゃあ、隠し事などできるわけない!
体調が悪いときなどは、どうしていたんだろう?
きっと、具合が悪いのだって、みんなに知れるのだから、あとで「大丈夫かい?」とか
「治ったかい?」とか「これを飲めば楽になるよ」なんていう、会話がトイレでされていたんだろうと思う・・・。
おばさんは先客のしゃがんでいる中学生に話しかけた。
「しっかり勉強してるかい?」みんなしゃがんでの会話だ。まるでヤンキーだよ(笑)
「外国語をしっかり勉強しなきゃダメだよ!」とトイレで説教が始まった。
中学生はしゃがんだまま、おとなしく聞いている。
「英語だよ!これからは英語が大事だよ!」と。私を前におばさん、そりゃないだろう・・・(泣)
でも、確かに日本語よりは英語かなあ・・・としゃがんだまま成す術もない私だった。
弟夫妻現る
トイレから戻ると弟さんが奥さんと来ていた。弟さんは40歳。15歳の娘がいる。世良正則似。
みんなで食事に向う。きっと、弟に勘定をさせようと(中国では男の人が勘定をする)
呼ばれたのだろう。「北京ダックを食べたい」という姉の提案で、近くのレストランに入った。
ビールに白酒(パイジオ)がとどく。
「乾杯しないの?」中国では料理が全部揃ったところで乾杯になるらしい。
私は、ビールは苦手なので、弟さん夫妻と白酒(パイジオ)をいただくことにした。
空きっ腹にパイジオが沁みる・・・一気に酔いが廻った。
「日本語であいさつしてくれ」と言われた。「日本語で?」「そう」
「えー、本日はお招き下さいましてありがとうございます。心からお礼申し上げます。
また、こういった機会がありますことを希望します・・云々・・」改めて催促されると、難しいよ、日本語であいさつだなんて・・・。
弟さんは「ひとっつもわかる言葉がない」と言っていた。
中国でご飯をご馳走になると、自分から取らなくとも自分の皿から料理が切れることがない。
まるで、魔法の皿である。
「これ、美味しいですね。なんですか?」「麺を揚げた料理だよ」
そう言おうものならドッサリ盛られることになる。
美味しいけど、もう食べられないよー、と残すまで盛られ続けられるのでした・・・。
「我有点酔了・・・(すこし酔ったみたい)」「オイ!もう止めとけ!」「大丈夫!少しづつ飲むから」
「止めとけ!具合悪くなるぞ!」「そうね、酔っぱらって、‘正陽門’にガーン!
‘前門’にガーン!‘天安門’にガーン!
その奥の‘午門’(うーめん)にガーン!ぶつかったら大変だモンね・・・(酔)」
みんな「アハハ・・・(爆笑)」よかった、ウケた。
巨大正露丸
娘さんの家に戻ってお茶を飲んでいたら、テーブルの上に「胃薬」の箱があった。
開けてみると中に巨大正露丸だった!ゴルフボールくらいある!お決まりのコールタール色。
「これは、いくらなんでも飲み込めないよ・・・」と、押してみると柔らかい。
おばさんは「こうするのよ」と、口に放り込んで、アグアグ咬み始めた。
「苦そう・・・苦くないの?」「苦い!」中国ではなんでもスケールがでかい!
そういえば以前香港で買った風邪薬も、マーブルチョコ大の錠剤を一度に5粒も飲まねばならなかったっけ・・・。
バス停まで
息子の宿題を見てあげたり(算数くらいは私にも何とかなる)、弟さんとtuziとduziの発音で笑ったりしているうちに、
9時を過ぎていた。
「すっかり、遅くなりました。そろそろ帰ります」と言うと、おばさんが「泊まっていけ」と言う。
「明日の朝、私といっしょに太極拳しに行こう!馬先生も明日は来るから」とおばさん。
「あしたは氏隠が来ないので、私も行かないつもりです」と、半ば強引に帰ることにする。
弟さん夫婦がバス停まで送ってくれると言う。
「大丈夫、わかるから。それにバス停まで遠いから」と言っても親切に送ってくれた。
歩きながら、落花生をむいて食べながら歩く。奥さんはだんな様と腕を組んで歩く・・・。
奥さんは私とも腕を組んで真ん中になり、3人並んで歩く・・・落花生食べながら・・・超楽しい♪
弟さんと奥さん、そして私もかなり酔っている。私はちょっと舐めただけで酔っ払ってしまったが
弟さんと奥さんであらまし1本のパイジオを空けてしまうのだから、うわばみだ。
「北京に友人はいるのか?」「いなーい!」
「そうか、なら今日たくさん友人ができたじゃないか!次も北京にきたら必ず連絡よこすんだぞ!」
「はーい!うれしいですう!ありがとう!」
おばさんと娘さんも、「次は両親を連れていらっしゃい、家に泊まればいいわ」と言ってくれていた。
ありがたい話だ・・・(涙)
「どこ行きに乗るんだ?」と聞かれて「寛街〜kuan jie〜クァンジエ〜です」と答える。
いやな予感的中。通じない。私は有気音がうまくできないのだ・・・。
クァンジエのクァンは、つばが喉の奥から飛び出さんばかりに発音しなければならない(有気音)
クァンがkで始まっているからである。何度も、クァンジエ、クァンジエ・・・と繰り返す。
「クァンジエ・・・トゥーズ・・・クァン・・・クァン、トゥー・・・トゥー」
・・・k と t の発音練習が北京の夜空に響く・・・
‘前門’のバス停からライトアップされた‘天安門’が見えた。
まさか、ライトアップされた夜の‘天安門’を見る事になろうとは思いもしなかった・・・。
人生何が起こるかわからない。私は今日一日のことを一生忘れません。
vol.47
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