武者修業in北京(4)

2002年3月4日(月)am8:30


朝の通勤風景

手相
月曜日は馬先生は休みで、自主トレの日だという。
馬先生と生徒さんたちの関係は師弟の枠を超えて、何でも疑問をぶつけ、
文字通り体当たりで実践して示してくれる、といった羨ましい関係に私には映った。
でも、やはり先生がいないせいか、今日は心なしか雰囲気が柔らかい・・・。
私はずっと‘お客さん’として、‘氏隠’の友人として、おとなしく見学していた。

自主トレもそこそこに、何がきっかけだったか手相の話しになった。
何気に私の手を見せると、おじさんはガーッと話し始めた。全く聞き取れない。
何か、単語のひとつでも・・・と、思い必死にヒアリングを試みるがダメだった・・・。
周りには5,6人の人だかり・・・その反応からして、良くないことを言われているみたいだ。
お姉さんが「本当かしら?」おばさんが「面白いわねー」と言っているのは聞き取れた。
どうせ、碌なこと言われてないのだ。だって、私の人生だもの・・・。
氏隠も「ただの遊びだから」と言って教えてはくれなかった。
教えられないほど、私の人生は悲惨なのだろうか・・・(泣)
何を言われていたか、今もしつこく気になっている私・・・語学力の無さが悔やまれる。

さようなら
氏隠も、今日は時間がないという。
そして、明日は出勤しなければならないので、私とは今日が最後になると言う。
氏隠が来ないのなら、私だけ来るのも遠慮なので、ここの公園とも今日が最後。
残っているおばさま方と日本語講座が始まった。
おばさまは「コンニチハ・・・アリガトウ・・・ゴジャマシタ・・・」と私が言う前に話し始めた。
おばさま方が知ってる言葉はどれも‘あいさつ’だった。
やはり、言葉の基本は‘あいさつ’だものね。
「ありがとうご・ざ・い・ま・す!」他の挨拶もレッスンした。
「ただいま」「いただきます」「おやすみなさい」などなど。
そんなことを話しているうちに、おばさまは思い出したように「・・・サヨナラ」と言った。
私は北京語で懸命にこう説明した。「‘さよなら’は中国語で‘再見’です。中国語の‘再見’は
また会う人にもよく使われますが、日本語の‘さよなら’は、もう会えない別れの時にもよく使われます。
だから、私は使いません」と。
「だから、‘さよなら’の代わりに‘また、会いましょう’と言います」と付け加えた。
おばさまが「マタ、アヒマヒョウ・・・」私が「また、会いましょう!
おばさま方「マタ、アヒマヒョウ!」そして、氏隠が「また会いましょう!
おお!完璧な発音!パーフェクト!
こだわりすぎと言われても‘さよなら’という言葉は口にしたくない私なのでした・・・。

姿勢
おばさま方も三々五々帰っていき、私と氏隠、お姉さんとおばさんの4人だけが残った。
私と氏隠で‘楊式’を通した。今回北京でまともに動いたのは、これが初めてだった。
その後、「今日は時間がないから姿勢だけ見るよ」と基本的な‘弓歩’を直してくれた。
「そうじゃないよ・・・もっと正面向いて!」 
自分では真正面を向いてるつもりでも、第三者から見れば斜めになっているみたいで・・・。
「もっと、股関節を引いて、手の位置はここ!後ろ足がたわみすぎてるよ、伸ばさないと!」と容赦なく直された。
「うっ・・・痛い・・・辛いよう・・・」「この姿勢が辛いのか?」
「うん・・・」「そうか・・・でもこれで、やっと見られる姿勢なんだぞ」
「うっ・・・そうスか・・でも痛いッス・・」「慣れれば痛くないさ」
「うん、わかった」私が氏隠と離れてから、どれだけこの姿勢の記憶があるか分かりません。
日本に帰れば、またいつもの楽な姿勢に戻ってしまうのかもしれません。
でも、できるだけ、この時の辛い姿勢が再現できるように、自分を戒めていこうと思います。
忘れないように体に滲みこませねば・・・。

中国太極拳事情
私はこれまで太極拳は南方(香港、上海)のほうが北方(北京)に比べレベルが高いと感じていました。
でも、それは私の大間違いでした!
たまたま、私が出会わなかったに過ぎなかったのです。

私は今回、インターネットを駆使して、その恩恵を受けてこうして達人たちと会うことができました。
私がインターネットを知らなかったら、北京に来ても出会えなかったであろう達人たちです。
なぜなら、この公園は有料です。あらかじめコンタクトをとっているなら別ですが、
外国人が飛び入りできる状況にありません。他の公園にしても同様です。
どの公園にどんな先生がいるのか?何時から何時までか?という事情は、あらかじめ情報を掴んでおかない限り、
この広い北京の街で闇雲に歩いたからって、達人に出会える確立は極めて低い。
至難の業です。軽い朝の運動(20〜30分程)の人を見かけるのが関の山でしょう。
中国太極拳の懐は果てしなく深い・・・と、私は今回痛切に感じました。
そして、私がインターネットの太極拳サイトを見た限り、太極拳の大家といわれる人は大抵北京に在住しています。
お膝元を「レベル低い」と扱っていた私は愚か者でした・・・

今、私の所にはサイトの登録を見て、中国各地からメールが届きます。
できるだけ長く交流が続くようにと願って、必ず返事を出しています。
中には、残念ながら交流が途絶えてしまう人もおりますが、
それはメールという形の交流ならではと、割り切っています・・・。

今メールをやりとりしている人の中に、河北省の青年がいます。
河北省永年という土地は‘楊式’太極拳の発祥の地で、‘陳式’太極拳発祥の河南省温県にも
比較的近い距離にあります。
彼は永年から300kmほど離れた温県に、時間があれば‘陳式’を習いに行ってるそうです。
河北省も河南省も太極拳が生活の中に溶け込んでいるような土地柄であることに違いはないでしょう。
武術大会での優勝者の出身地はこの河北省、河南省が占めています。
小さい頃から武術に親しみ、幼い頃にその将来性を見極められ、その才能をどこまでも伸ばせる。
それが中国教育というものです。優秀な武術選手が育つのも、この教育制度あっての話しでしょう。
その、永年の青年が習いに行っている‘陳式’の先生というのが、
‘剣の女帝’という異名を持つ‘陳式’の女性で(私はインターネットで知りました)、
今は亡き‘陳照丕’に学び、その後日本でも有名な‘陳小旺’‘陳正雷’に師事した人物である。
彼は、毎回3、4日の予定で先生の家に寝泊りして‘陳式’を習っています。
永年に住んでいる彼は、もちろん永年在住の先生には‘楊式’を習いました。
河南省太原には現在も‘楊式太極拳’の子孫が住んでおられます。
といっても、現在はほとんど中国人に教えないといいます。
もっぱら、ドイツやフランスに出かけて教授されてるとのこと。

中国の人たちは朝早くから仕事に出かけるまで、毎日太極拳の練習を怠らない。
「いったい、謝礼はどうなっているのか?」私は長年疑問に感じていました。
私は日本のカルチャー太極拳しか経験がないから、彼が‘陳式’の先生の家に泊まりこみで、
と聞くとなおさら疑問は膨らみました。私は、失礼覚悟で聞いてみることに。
「先生に謝礼はどうしているのか?著名な先生に習うときはお礼をどうしているのか?」と。
返事を見て驚いた!
「先生は俺たち中国人からは、お金は受け取らない。
俺は食事代と宿泊代として1日100元を置いてくる。
でも、初めて習いに行ったときは一銭も受け取らなかった。
先生はお金のない人からはもらわない」と。
私はますます不思議に思って「先生はそれが職業ではないのですか?」と聞いてみた。
「以前は、本業があったのでお金を受け取る必要がなかった。
今は私たち中国人からはお金をもらわないが、外国人学生からはもらっている」
仕事とは外国人に教えることを意味し、中国で本業があるうちは外国人に教えていないようです。

ついこの間も、‘陳式’の先生の所に行ったとき、2人の外国人が1ヶ月の予定で
先生の家に泊まりこみで習いに来ていたという。
ドイツ人とスイス人でふたりとも50代の女性だったといいます。
「悠々自適やーね・・」と私は思った。彼女たちからの報酬は中国で2年間生活できる金額だったのですから!
それでも、外国人の彼女たちから見れば1ヶ月習えて、食事と宿泊がついているのです。
彼女たちにとって、それほど大きな負担にはならないのかもしれません。
中国で、太極拳を教えることを職業とするということは、こうした状況を言うのでしょう。
払える人からはいただくが、大きな負担となる人からはいただかない・・・。
このように職業として報酬を得るには、大会で優秀な成績をあげて、自分の名を国内外に知らしめなければなりません。
あまたの中国人太極拳の先生の中で、このように本業を持たず、
太極拳を教えることを職業としている人は、ほんの一握りに過ぎません。

ここの馬先生の元にも、日本から習いに来ている人がいるそうです。
氏隠に「この公園に来て習っているのですか?」とこっそり聞いてみたところ、
「ああ、来たこともあるよ、だけど大抵はホテルに馬先生が行っている」と言っていた。

謝礼の事はさておいても、国籍の違いで習う状況が変わってくる。
教える側も変わってくる・・・。
氏隠が立派な本業を持ち、本業で名を上げることを最優先するのは、こうした背景もあるからなのではないでしょうか・・・
本業も生半可で余暇にうつつをぬかしている場合じゃないのだ。
私はできるなら、現地人に溶け込んで太極拳を学びたいと考えているし、その方が内容的にも濃い。
なにしろ、金銭では買えない太極拳の秘訣が語られている、と信じています・・・。

氏隠との出会いは、職業太極拳ではない、その土地に根ざした太極拳の一端を私に見せてくれた。
これから私の拳友の輪もインターネットによって広がっていくだろう。
氏隠との出会いは、果てしない武者修業のはじまりなのだ。


公園内の風景。中国の公園は居間と化している・・・



武者修業in北京完


北京5に戻る    太極拳目次





vol.24