2005年北京6
3月6日(日)
6日目
「東黄城根南街〜南池子〜王府井〜北京駅〜東南城楼」
:am
‘通り’あれこれ・・・
今日で北京滞在も最終日になった。
長いようであっという間に過ぎてしまい、結局中途半端に短かったような・・・?
今日の予定は、特にない。特にないが、母へのお土産を探さねばない。
・・・となると、方向としては王府井(高級志向)ということになるから、ついでに3年前にバスで通った、
不思議な名前の‘通り’に行ってみようと思う。
その‘通り’の入り口は赤いアーチになっていて、通り名に‘池’という文字があったように記憶している。
それともう一ヶ所。
今回初日に王府井に行った時、王府井内に設置されている観光看板地図を眺めていたら、
王府井の横が公園通りになっているとあった。
私は「(近くにそんな見どころがあるのか・・・?)」と興味を覚えたので、時間もあることだし
せっかくなので今日は王府井付近の‘通り’あれこれを散策してみようと思う。
公園通りの名前は東横城根南街といって、東長安街に抜ける‘通り’だ。
私は東四西大街から東長安街に抜けるコースをとろうとバスに乗った・・・
アメリカ悪の根源説
今日は日曜日なので、9時頃でも街は静かだし、車も空いていた。
東四西大街でバスを降りて東横城根南街に行くため横道に入った。
そこは胡同だった!こんな街中のど真ん中にも胡同が生きていた!
ま、こじんまりしたレベル1の胡同ではありましたがね(笑)
掲示板には「衛生を心がけましょう!」の文字や、「治安をよくしましょう!」の文字。
特に清潔に保つことがスローガンとしてデカデカと貼り出されていた。
そうだよね。日本もそうだけど、ゴミの量が半端じゃないし、
売られている商品の過大包装のせいでゴミの量は増える一方だもの。
生ゴミだってこんな中心部では処理に困っちゃうと思いますよ。
しかも、中国では冷凍庫はおろか冷蔵庫も無しの、カンカン照りの路上で肉をさばいて売っているのですから。
解体する豚もその場に吊るされて放置されているのですから。
衛生状態が良いとはいえないかもしれません。
そこは新鮮さが補ってきたことではありますが。昔からそうしてきたのですし・・・。
でもこのような昔ながらの生活は今の若者に通用しない。
だから、王府井に進出した日本のスーパーの清潔さに客が群がるのですよ。
日本のスーパーたって、あれはアメリカ式スーパーですよね?
私が子供の時分に何でも揃う巨大スーパーなんて近所にはなかったし、だいたい車で乗り付けるような店なんてなかった。
カートで店内に入ってカゴにバンバンものを入れるようなお店は一軒もありませんでしたよ!
野菜は八百屋、魚は魚屋、靴は靴屋、靴下は靴下店・・・そういうものでした。
巨大スーパーなんてアメリカの真似じゃないかっ!(怒)
ところで、話しを中国に戻すと・・・
中国が今まで清潔や衛生面に対して鈍感だったわけではないと私は思うのです。
カンカン照りのもと生肉を売っていようが、新鮮さにおいては、その場で解体してるのですから保証されるわけですし、
火を通して調理するわけだし・・・私はそれが不衛生だとは思えません。
昔からずっとそうしてきたのだし、それで問題も不都合もなかったのですから。
でも、それが中国の若者の目には不衛生に映るのはなぜか?
それは外から情報が入ってきたからではないかと・・・。
外国の情報をメディアなどで目にする機会が急速に増えて、比較対照ができるようになったからではないかと。
情報は情報として、闇雲に諸外国の真似をする必要もないと私は思うのですがね。
中国には中国の生活様式があって良しと思うのですが・・・。
日本なんてアメリカを目指し、何でもかんでもアメリカの真似を追求してきた。
巨大スーパーひとつとってもそうだ。誰とも話さず買い物ができてレジに並んでハイおしまい。
便利だからそれで良いのか?私は学生時分、下町にひとり暮らししていました。
近くには魚屋があり、八百屋がありました。
買い物に行くと、「お姉ちゃん(←こう呼ばれていました)おまけしてやるから持っていきな!」と何かしら会話があって、
季節季節で「かつおが入ったよ!」といった会話から‘旬のもの’をかなり覚えましたし、
美味しく食べる料理方法を教えてくれたりと、それこそ情報が入ってくるものでした。
もちろん、近くには何でも一か所で済んでしまう安い巨大スーパーもあったのですが、
そこには‘季節感’がまるでないし、いついっても同じ商品が並べられている・・・。
それに、私の大嫌いな‘冷凍もの’ばかりだった。
今になって思えば、新鮮で買って安心の個人商店に行くことが多かったように思う。
必要なものだけを買い物するのに、いちいちレジに並ぶより、個人商店ならパパッと済んじゃうし。
便利なのはどっちだ?って話しよ!
家の構造だって然り。
例えば畳の生活様式から、いまやフローリングが主流になってきている。
そのくせ床に座布団置いて座ってるくせに・・・。
日本から畳が消えちゃうんじゃないの?
畳がないということは、‘正座’もなくなるし、‘三つ指おじぎ’もなくなることに繋がる・・・。
現に、礼儀も常識もない子供ばかりで、犯罪が低年齢化してるじゃないかっ!?
日本の心を‘三つ指おじぎ’ができない家でどうして教えられる、ていうんだろ?
‘便宜上’と称して何でも簡略化したがる・・・そこから調和がとれなくなっていくんです!
これは恐ろしいことです。調和こそが美なのに・・・。
中国もアメリカを目指し、子供らがマクドナルドのハンバーガーだの、
スタバのコーヒーってばかり言ってるから肥満児だらじゃない?
中国四千年の食文化において、かつて肥満などなかったはずなのに・・・。
粥を食えっ!茶を飲めっ!茶だよ茶っ!
私は、「アメリカ悪の根源説」の思いを新たにし、胡同を横切って目的の東横城根南街に出たのでした・・・
こ、こ、こんなところに、よもや!
東横城根南街は両脇に車が行きかっている、中央分離帯にある狭い歩行者天国の通りだった。
ちょっとした樹木が植えられていたり、レンガできれいに整備された公園通り。
小道を歩けば、所々に王府井内にあるのと同じ作者のブロンズ像が設置されている。
王府井の‘姉妹通り’といった感じ・・・。
地図によれば東横城根南街内に王府井由来の井戸があるのだそうだが・・・?
そのへんは私にもはっきりとは分からずじまいだった。
閑散とした日曜朝の公園通りを散策していたら、ひとりで太極拳をしているおばさんに出会った。
楊式太極拳だった。
散策しながらほどなく東華門大街に出た。そこに・・・、
「!!」
な、な、なんと遺跡が!大通りのど真ん中に遺跡が!
「(ここはなんなんじゃ?・・・明皇城東安門遺跡・・・はあ?)」
おおーっ!東安門!
皇城4門のひとつ東安門が遺跡で残っていたなんて・・・私、聞いてませんから!
‘城門の旅’とはよくぞ言ったもので、なんだか縁を感じます。
遺跡には当時の城門の位置や、城壁が残っていました。
この思いもよらない出会いにtuziは感動しちまいました(涙)
朝も10時を過ぎているというのに、そしてこんな中心部に遺跡があるというのに
訪れる人も少なく静まり返って、ここは時間が止まっていました。
遺跡の案内図によれば、当時は周囲に河が流れていたとあります。
その河が埋めたてられて現在の大通りとなったものでしょう。
うっわー!tuzi感激です!
遺跡こそが古き北京を物語ってくれるんですよね♪
まさかまさか東安門が見れるとは夢にも思いませんでした!(感涙にむせぶtuzi)
思いがけず出会った東安門遺跡跡
突き当たりに見える赤い門が東華門
中は閑散、外でたむろ
嬉々として、東長安街に抜けた私は、もうひとつの‘通り’を目指した。
高く赤い塀の横を西に向い歩きます。
そうなのです、私が向おうとしている‘通り’というのは皇城内にあるということになるのです。
はは〜ん・・・その当時、お公家さん(中国ではそうは言わないか・・)
ま、さしずめ皇室の住居があった地域のようでして・・・。
到着した‘通り’は南池子大街という名前でした。アーチを入ってみると、そこは別世界!
横に菖蒲公園があって、小川が流れその向こうには故宮の天安門が!
そうなのです・・・この‘通り’(東安門内部、赤壁で仕切られた地域)は、貴族の屋敷区域だったのです。
この菖蒲公園も、もとはといえば貴族の屋敷だったということです。
現在、屋敷として残っている建物が皇史成です。
菖蒲公園。すぐそこに天安門が・・・
皇史成内部は閑散として貸切状態・・・
この屋敷跡は一般に公開されていて、私が行った時はギャラリーとして現代絵画作家の展示をしていました。
そしてここも閑散として、だーれも訪れる人がいませんでした・・・。
でもね、不思議なことに門の外には若者がわんさかたむろしてるんですよ。
ふしぎ〜・・・そんな狭い歩道でたむろしてんだったら、広い中に入ってたむろしてればいいのに・・・。
誰もいないんだし、かたいこと言わないでさ・・・
ほんっと、中国人は何考えてんだか、よう分からん!
・・・って、常識として誰もいないからって観光施設内でたむろはできないか(笑)
よう分からんこと言ってるのは私の方みたいね♪
皇史成の入り口。たむろってる・・・(tuzi語)
最後の砦
皇史成から横に突っ切れれば、王府井へ最短距離一直線で行けるはず。
よっしゃー近道じゃ!(←でも、その道は知りません)
横に突っ切って北京飯店の裏から王府井へ抜けた。日曜日の王府井は凄い人だった!
休日に買い物を楽しむ、はたまたウインドウショッピングする・・・。
さてさて、母ちゃんへのお土産を見つけねば・・・。
私は老舗の北京百貨大楼に向った。あそこなら母好みのお土産がきっと見つかるはず!
ところが行ってビックリ!
表ウインドウにはグッチ、ヴィトン、シャネル・・・のポスターがデカデカと!
あ〜・・・だから前門でロレックスのコピーが売られていたのね・・・(納得)
本物がないのに、コピーが出回るわけもなく、現に今年まで北京でブランド品のコピー商品など見たことがなかった。
(香港でならよりどりみどりですがね♪)
それが今回、売られているからどうしたのか?と、不思議に感じていたのだ。
「(こういうことだったのね・・・)」
だって考えてもみてください。
本物がないのに、コピーは存在しないではありませんか。
もし存在したにしろ、その価値は誰にも分からない。コピーの意味がない。そうでしょう?
逆もまた真なりで、コピー商品があるということは本物が存在しているということ!
浸透しているということ!
ま、そんな北京百貨大楼に足を踏み入れる。
私がここ北京百貨大楼に来るのはこれで3度目。初めて母と来たのは2000年だった。
その後、2002年友人のクリームを買いにここにやってきている。そして今回が3度目・・・。
「!!」
あ〜あ、こんなに様変わりしてしまって・・・(涙)
ブランド品のブースばかりで、ここが北京ということを忘れてしまいそうだ。
「(う〜〜〜、目が回る〜頭痛いです〜
これじゃ、母ちゃんのお土産にならないよ〜・・・)」
翡翠のコーナーにも行ってみたが、高価すぎて手がでましぇーん(泣)
桁が違いすぎます・・・
でも、何か調達せねば・・・そう焦れば焦るほど、目が回る〜
何か調達せねば日本に帰れないと、追い詰められれば追い詰められるほど、頭痛いです〜
ふらふらと金のコーナーに行ってみたら、私でも買えそうな気配が。
‘特価’とあります。
「(ふむふむ・・・)」
行きつ戻りつ丹念に見て回っていた。
ふつうなら、「何をお探しですか?」と聞いてくるものだが、今回ばかりは無視された。
「(話しかけてよっ!・・・こういう時に限って無視かよ?)」
私はチラチラ店員さんに視線をおくってみるが、店員さんはやはり仁王立ちで完全無視。
お金を持ってなさそうな客は無視するように、とのお達しなのでしょうか?
「あのう・・・この指輪はこのお値段なんですか?」
恐る恐る聞いてみた。
「1g!」
「1gがこのお値段ですか・・・」
仁王様は頷くだけで私なんかとは口さえきいてくれない。
・・・やっぱりね。そりゃ、こんなに安いはずがないもんね。
私が黙ってその場をあとにしたことは言うまでもない・・・。
「(どーしよー・・・)」(汗)
母へのお土産調達‘最後の砦’北京百貨大楼でよもやの撃沈!
「(どーしよー・・・)」(焦)
私は頭の中が真っ白になってしまった・・・困った・・・困った・・・(泣)
3月6日(日)
6日目
「東黄城根南街〜南池子〜王府井〜北京駅〜東南城楼」
:pm
救いの女神
私は頭の中真っ白で、もう考える気力もなかった。
だって、北京百貨大楼で見つからなかったら、いったいどこで母のお土産が見つかるというのだ?
「(困った・・・いやあ、困った・・・ほんとに困った・・・)」
私はとにかく北京百貨大楼を出て、あてもなく歩き出した・・・。
王府井通りにある、翡翠のお店や、貴金属のお店も眺めてみた。
帽子の専門店や、中国服のお店にも寄ってみた。
でも、どこに行っても「これぞ!」という品は見つからなかった。
「(困った・・・いやあ、困った・・・ほんとに困った・・・)」
そうこうして、あっちへ寄り、こっちへ寄り・・・しているうちに東安市場まできてしまった。
3日目にお菓子をたんまり買い込んだ東安市場である。
「(ここで見つかるとは思えないけど・・・)」
そんな‘あきらめムードむんむん’で再度入店する。
宝飾品といっても北京百貨大楼には及ばず、これといってイマイチ・・・あてもなく彷徨い、地下にたどり着く・・・。
地下は相変わらず食料品や、お菓子の売り場である。
「!!」
そんな中に、なぜか琥珀!
日曜日なので特設の琥珀フェアですかね?
「(どうせ高価で手が出ないんだよね・・・)」
‘あきらめムードむんむん’でショーケースを覗き込む。
「(・・・あれ?そうでもないじゃん!)」
何とか私にも買えそうな範囲内だ!(嬉)
私は一点物の指輪を出してもらっては指にはめてみた。
デザインは気に入っても細くてボツになるのもある。
対応してくれた店員のお姉さんは、とても感じの良い女性で、いろいろ親身になってくれた。
母は琥珀を持っていなかったはず。お土産に最適だ!
「ここから、ここまでは○○○元均一です」
「あら、そうなの?値札は△△△元よ?」
「ええ、でも今日は特別に3割引なんです」
「ここから、ここまでは×××元均一ですよ。お買い得です♪」
「あーら、そうだったのお?」
私は長いこと悩んで、ようやく2個に絞った。
「どっちがいいかしらね?色はこっちがいいけど、デザインはこちらも捨てがたいわー♪」
「ええ。私はこれが好きです」
「そっか・・・母にプレゼントなんです」
「そうだったのですか!だったら、こちらです!」
「そうね、このデザインは若い人向きですよね♪」
「そうです、そうです!」
「では、こちらをいただきます。ご面倒をかけました」
ほっ。よかった♪
これで母へのお土産ができた〜♪
店員のお姉さんが親切な人でたすかりました!感謝感謝!
ハンコ
母に琥珀の指輪を買って、残金150元くらい。
極度の緊張から解放されたせいか、急に小腹が空いてきた。
地下の老街でなにか食べようと思って行ってみた。ここの老街は何度来ても楽しい♪
昔の北京の商店が並んでいて、売られている商品も昔ながらのものばかり並んでいる。
私が刺し子の太極拳靴を買ったのも、ここ老街の中にある店舗でだったし、楊式刀を見つけたのもここでだった。
(「旅行記」2002年北京参照)
そんな中、ハンコ店を発見。
何気に眺めていたら、干支の石を見つけた。
「(父のハンコを彫ってもらおうかな・・・)」
実は、1994年私が初めて中国を訪れた時、父にハンコをお土産にした。
ところが、2文字の彫りが逆だったのだ!私が姓と名を告げなかったのがいけなかった。
2文字の場合、姓が右、名が左になるように彫ってもらわねばない。
それが逆になってしまったのだ。私のうっかりミスであった。(「旅行記」1994年中国参照)
そんな苦い経験から、今回こそはちゃんとしたハンコを作ってもらおう!
私が告げるまでもなく、さすがプロの店主のおじさんは、きちんと出来上がりの文字の左右を私に確認した。
「(今回は抜かりはないぞよ!)」
待ってる間に、隣のお店から、「かわいいぃー♪」「うれしいぃー♪」という日本語が聞こえてきた。
「(ハッ!え?日本語?)」
みると修学旅行なのか高校生くらいの学生が4,5人と、通訳の(といっても日本語ができる中国人高校生、
交換留学生として日本に滞在していたのかも)が買い物を楽しんでいる。
パンダグッズを買って、おまけしてもらって喜んでいる。
私も高校生で中国に来る機会が与えられていたら、今とは違う人生を歩んでいただろうな、と思う。
彼らにとっても、この経験が後々の人生に影響を与えるものとなるでしょう。
「パンダグッズを買ったっけ」という他愛もない旅行であれ、それはそれでその人の中からは決して消えない中国の思い出だ。
そしてその思い出が、その人のその後の人生にどのように影響を及ぼすかなんて誰にも分からない。
本人にだって想像できないだろう。人生はそんなことの連続だ。
「ひょんなことから・・・」「こんなはずではなかった・・・」「なんでこんなことに・・・」
想像をはるかに超えることばかりだ。だからこそ人生は楽しい。
予測つかない方向へどんどん流されて、気がついたらこんなんなっちゃってた・・・みたいな♪
それでいいじゃない?そういう運命だったと思えば、なんでもありさ!
人間どこに生まれて、どこに暮らそうが、雨露しのげる家があって、お腹いっぱい食べて、
ぐっすり寝て、健康だったらそれでいいのさ!
他に何がある?
安らげる伴侶と元気な子供があれば言うことなしっ!
そうじゃないのか??
そうだ。私はお腹が空いていたのだ。
私は仕上がったハンコを受け取って、食堂街に向った・・・。
店主は電動ノミでハンコを彫る・・・そんなのありかよ?
女ひとり温麺をすする・・・
毎回‘炒麺’ばかりではいい加減飽きたので、今回は‘汁麺’にしてみた。
食べてみたら、いわゆる日本のうーめん(温麺)だった。
ここの食堂はアルバイトのお兄ちゃんたちが作ってるせいか、味がどちらかと言えばファーストフードに近い。
美味しくないうえにデパートなので高い。麺だって手打ちじゃなくて既製品だし。
やはり、冒険してでも外の店で食べるべきだった・・・(泣)
それでも、日曜日効果なのか凄い混雑だ。
セルフのここ食堂も座るところがないくらいたくさんの人で賑わっている。
赤ちゃんを連れた白人の家族、若い女の子同士買い物がてら食事を楽しんでいたり、
家族や友人同士、休日のショッピングを思い思いに楽しんでいる。
そんな中、ひとりうーめんをすする女ひとりは身にこたえる・・・。
今更ながら‘なにが悲しくてひとりなんだ’と思ってしまう・・・。
ひとりで食事するのは寂しいものだ。これがひとり旅のネックか・・・。
見たものを共有できない寂しさもさることながら、食事が毎回ひとりというのはツライ・・・。
だから、どうせひとりなら持ち帰ってホテルでのんびり・・・ということになってしまうのだ。
そもそも大勢で楽しむのが中華の基本なんだし。
北京駅界隈
これで父と母にお土産らしいお土産ができた!
残金を使い切ろうと、父にタバコを数個買った。銘柄はもちろん‘北京’と‘哈徳門’だ!(笑)
‘中南海’という銘柄のタバコ(日本でも売られているらしい)は体に良いと聞いたことがある。
体に良いタバコって!と突っ込みをいれたくなってしまうが・・・。
お土産にはコテコテのネーミングがよい。私からは他に‘大自然’などもお薦めだ。
薄緑のパッケージにパンダが描いてあって可愛らしい。
私はこれから北京駅経由で東南角楼を見に行こうと思う。
北京駅付近には、今回の旅の目的「城壁制覇」のきっかけとなった城壁跡があるはずだし、
東南角楼は初日に通っただけで入場していないから、そこに寄ってからホテルに帰ろうと思う。
いよいよ、今回の「城壁制覇の旅」はフィナーレを迎える・・・
てくてく歩いて北京駅をめざした。今日は天気もいいし、マフラーがいらないほど暖かい。
道々、今回も結局あっという間だったな・・・という思いが溢れてきた。
滞在して6日。ビュンビュン車が来る道路もひとりで渡れるようになって、
中国語も耳に慣れてきたというのに、帰らねばならないなんて・・・これからなのに!って感じです。
建国門内大街をまっすぐ進んで右折し、北京駅街に入った。
「怪しい・・・」
中国全土、どこに行っても鉄道の駅付近は‘怪しい’です・・・どう説明したらよいのか・・・とにかく‘怪しい’んです・・・
昨日バスで通った北京西駅付近もそうです。あの雑多な感じ、闇市の雰囲気・・・。
私は決して嫌いではないのですよ、むしろ怖いもの見たさで(笑)
駅前の土産物屋を覗いてみると面白いですよ♪
もうね、コテコテですからー。「これぞ北京みやげ!」のオンパレードですからー。
それに地方から出てくる人たちのためなのでしょう。生活雑貨がきちんと取り扱われてます。
歯磨き粉から歯ブラシ、シャンプー、石鹸などです。
あと目に付くのがバックですね。バックといってもオシャレな小さいのじゃなくて、
ストライプの布団が入るくらいのデカイのが売られています。
実は私もね、‘北京’て書いてある布バックを買いそうになりました(笑)
でも、これはいかにもなので日本では下げらんないな・・・って涙をのみましたけどね。
欲しかったなー。
北京駅前
車がきてようが動じません・・・てか車を見てないし!
車の前に出て行くし!車は車でスピード落とさないし!
北京駅東街に左折して歩いていたら、
「!!」
おおーっ!これだ!
私が3年間目に焼きついて忘れられなかった
城壁跡だっ!
ここだけポツンと残っているから不思議なのだが、位置的には東南城壁跡の延長にあたる。
しかも東南角楼と違って、ここだけは復元されないままなので、城壁跡としてのインパクトは強い!
感動的です!(嬉)
「私が探し求めていたのは、これなのだー!」(嬉)
城壁制覇達成!
感動覚めやらぬ私は最後の目的地、北京城東南角楼を目指して歩いた。もう夕方の4時半だった。
北京城東南角楼は観光用に整備され、時には観光バスも止まっていたりする。
復元された建物なのだと思う。
崇文門まで長く延びる城壁沿いは公園とも遊歩道ともなっていて、
犬の散歩に来る人や運動してる人の憩いの場となっている。
広々とし、とても気持ちのいい場所だ。
北京城東南角楼の内部は、当時使っていた戦闘の展示室になっている。
角楼から矢を打つ戦士、大砲、どこまでも延びる城壁・・・幅6m、高さ11mその威風堂々たるもの!
小さな窓の外に見えている、その城壁を眺めtuziは思ったものだ・・・
「城壁の上、走ってみて〜!」
そして、すぐ脇は現在の北京駅への線路になっている。
実はここは旧北京駅への路線があった場所でもあるのだ。
その線路跡(前門行き)も、番所も遊歩道内に残っているのだ!これがまた感動的よ♪
頭の中に当時の北京地図が浮かび上がってくるって感じです。
角楼内部
・・・こうして、私の「城壁制覇」の旅は終わりました。
自分の足で歩いて、城壁、城門を巡ってみて、私の中に「古き」当時の北京地図が蘇った感があります。
幸運にも復元ではない当時の城壁跡を見る機会にも恵まれて、
なおのことイメージでとらえることができたのではないかと思っています。
特に、最後の最後に前門に入った旧北京駅の路線跡を目にすることで、
いかに運搬において革命的だったかを知ることができた。
城壁や、城門の持っている意味づけが大きく変わった時期であったのだろうと思う。
だからこそ、取り払われたこともやぶさかではない。ラクダちゃんや馬による運搬方法から鉄道へ・・・。
そんな転換期の中で城門城壁が無用の長物として取り払われてしまった。
そう考えることもできるのではないかと・・・ここ東南角楼に登ってみて思ったのでした。
私は学者でもなんでもないので、あくまで推測、憶測、邪推ではありますが・・・。
時代は常に動いています。
必要に応じて新しいものが生まれ、と同時に古きものが壊される・・・。
そうして、時代を経てきました。
新しきと古きが共生することは難しいことです。むしろ共生する必要もないでしょう。
私が北京の「古き」を訪ねたかったのはノスタルジーに過ぎないのかもしれません。
でもね、でもね、忘れてはならないのだと思うのですよ。
過去にあったこと、昔はこうだった、ああだった、かつてここになになにがあった・・・。
現在存在してないとしても、過去にあった現実を忘れてはならないと思うんですよ。
その土地を敬う気持ちって「過去に存在していたものを忘れない」ということでもあると思うんです。
歴史はその土地とセットで切り離すことなどできないものです。
例えば、書物に詳しく記しました。それはそれで大切なことだけれど、
その出来事が起こった土地が必ずこの地球上のどこかに現存しているのです。
その土地のことを語り継ぐこと、風化させないことって大事なんじゃないかと思うのです。
かつて崇文門があった場所に残る当時の写真と紹介文のプレート
最終日
最後のお買い物
東安市場
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母の琥珀指輪・父のハンコ
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王府井書店
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篆刻の型
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王府井食品
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父のタバコ
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見学
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東南角楼入場10元
バス1元×1回
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食事
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昼食・うどん10元
夕食・煎餅2元
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