2005年北京4

3月4日(金)
4日目
「景山〜息子さんの家〜地壇〜娘さんの家」

 :am
再会
朝の8時におばさんが部屋にくるはず。私は朝食を食べてロビーで出迎えようと待っていた。
そこへタイミング悪く昨晩の隣の女性がやってきた!
「(げっ・・・)」
「あら、おはよう。私、故宮に行こうと思うんだけど、どうしたらいいかしら?」
「バス停がすぐ隣りにありますよ」
「悪いんだけど教えてくれる?」
「(えーっ、もうすぐ8時なのになあ・・・)え、ええ。じゃ、行きましょうか」
「ちょっと、待って!水買ってくるから」
「(ったく〜・・・こちとら、あんたに付き合ってる暇はねえんだよっ!)」
私はおばさんを迎えに来ただけなので、上着もマフラーも着てなかった。
寒さをガマンして隣のバス停まで行ってあげた。
何本か出てるから、そのうちの何番に乗ればどこに行くかも説明してあげて。ふ〜・・・。

ロビーに戻ると8時を過ぎていた。
もしや、部屋に直接行ったのではなかろうかと思い、いったん部屋に戻ってみた。
まだおばさんは到着してないみたいだ。もう一度ロビーに下りて行く・・・
8時30分になろうとしている。午前8時と夜の8時を聞き間違えたのだろうか?
私はメモをフロントに預け出かけることにした。
今日は地壇公園から鼓楼方面、景山公園といった北側地区をまわる予定だ。
メモを書いて、エレベーターを下りたら!
「あーっ!!おばさんっ!!」
「おーっ!!tuziー!!」
間一髪だった!
「30分待っても来ないからこれをフロントに預けて出かけようと思ってたところでしたよ」
「車が混んじゃってね」と、リウナー(娘)。会えてよかったよ〜。3人で部屋に行く・・・


驚きの連続
リウナーはド近眼だ。
明るいところでは色がついてサングラスになる度入りメガネをしていた。
髪型も以前と違ってストレートのショート。彼女はおしゃれだ。
おばちゃんは相変わらず元気だ。部屋でお茶を入れて久々の近況報告になった。
「私、写真送ったんだけど届きました?」
「届いた、届いた!あの後手紙送ったのよ」
「はあ?届いてないわよ」
「2通送ったのよ」
「1通も届いてないし!」
親子は顔を見合わせ‘やっぱり届かなかったんだ・・・’という顔になっている。
日本から送ったのはちゃんと配達されるのに、中国から出すと届かないのはどうしてなのだろう?
私も、旅先からハガキを出して届かなかったことがあった。
どの時点で行方不明になってしまうものか?
ま、お互いに‘返事か来んな・・・’と思っていた理由が分かってよかったが。
「みなさんお変わりありませんか?お父さんや弟さん・・・」
「パパは死にました」とリウナー。
「へ?いつ?」
「2,3年前」
「えーっ!てことは私がおばちゃんの家でいっしょに食事してからすぐってこと?」
「そうね」
「病気ですか?」
「ええ」
「どこが悪かったのですか?」
「心臓」とおばさん。
「ふーん・・・何歳でしたか?」
「71歳」
「そうでしたか・・・」
「弟の奥さんも死にました」
「はあ?」
「弟の奥さんが死んだんです。いっしょに夕飯食べたじゃない?」
「ええ、ええ、もちろん覚えてます。あの奥さんが死んだのですか?」
「そう」
「私は悲しくて悲しくて・・・」
「そうなのよ。母は本当に泣いてばかりいましたよ」
「だって、まだ若かったでしょ?やはり病気ですか?」
「43歳くらいだったかな。病気です」
お腹の病気ということだった。食中毒かもしれない。急に亡くなったのだそうだ。
人の命などわからないものだ。
あー、びっくり2連発だよ・・・この3年間、おばさんの家ではふたりも家族を失っていたのだった。
私はその訃報を聞くたび、思いもよらないことを伝えるためベットに倒れこむオーバーアクションをとって、
驚きの大きさを知らせた。
この3年でおばさん一家には大きな悲しみが2度もあったのですね・・・ご愁傷様です。


本日の予定
その後は、四方山話と、リウナー恒例のお金の話し。
日本と中国の物価事情に話しが終始した。リウナーは本当に金の話しが好きだ。
というよりお金の話ししかしない。
というか、私が日本人だから興味の対象は、日本人のお金と日本の物価なのだろう(笑)
具体的に日本に移住するためのリサーチをしてくるから困ったものだ。
彼女のことだから本気で移住する気でいるのかもしれない。
私としては自国で暮らすことが一番だと思うんだけどなあ。中国ならなおさらの事!
日本に来ても好いことなんかないよ・・・。
リウナーは前回もそうだった。
「1ヶ月いくらあったら生活できる?」・・・
「私とママと日本に行ったらtuziの家に泊めてくれる?」・・・
「tuziは1ヶ月収入がいくらあるのか?」・・・
そんな話しばかり・・・
「このセーターは30元だが日本では買えないでしょう?」とか・・・
リウナーの中では日本は豊かで苦労のない国だと思い込んでいるようだ。
それは、もはや神話の話しなんだけど・・・。
お父さんが亡くなって、立て続けに弟さんの奥さんも亡くなって、そんな話を聞かされて、
私は驚いて疲労しきってるっていうのに、リウナーのお金の話はとどまるところを知らず、私はいい加減ゲンナリしていた・・・。

今日は北を制覇するんだ!
まずは地壇公園に行って、鼓楼や鐘楼をもう一度見るのもよい。景山公園にも行きたい。
3年前、鼓楼東大街で見た毛糸店や楽器店を訪れたいとも考えていた。
私はたまらず、きりだす。
「今日は地壇に行こうと思っています。そのあと景山にも行きたいし・・・」
早く出かけたかった。
「まず、家に帰って靴を取り替えてお昼ご飯を食べてから地壇に行くから」
「いいよう!私ひとりで大丈夫だから!」
「そんなこと言うな!tuziといっしょにいたいんだから!」
「でも寒いし、疲れるよう!ひとりで行けるから〜」
「いいから、いいから。tuziと一緒にいたいんだから!」
「つき合わせたら悪いわよ・・・」
「そんなことはない。ママはtuziと一緒にいたいんだから遠慮することない」
は〜・・・リウナーにまで言われては・・・やっぱり逃れられないのね・・・(泣)
私は「地壇だからね!」としつこく確認し、部屋を出た。
だって〜、おばちゃん・・「わかった、わかった」って人の話し上の空で聞いてるし!


あれほど「地壇だ」って言ったのに・・・
隣りのバス停からは‘地壇行き’も‘景山行き’も、どちらのバスも出ている。
リウナーは仕事に出かけ、私とおばちゃんのふたりになった。
そして首尾よく‘地壇行き’に私とおばちゃんは乗った。
「(よしよし・・・)」
このバスにさえ乗ってしまえば確実に地壇公園に着く。
おばちゃんはバスの中でも知らない人に話しかけてはおしゃべりをやめない。
そうこうしているうちに、「降りるよ!」と私の手をひっぱり無理やり下ろそうとする。
「な、な、なんで〜?まだ地壇じゃないし!」
「いいから、いいから」
いいから、いいからじゃないよ!んもうっ!いったいなんなんだよ?
はじまった・・・まずい、おばちゃんペースにもってかれてる・・・

おばちゃんは何を考えたのか北京美術館前で下りてしまった。
「なんで?ここ地壇じゃないし。どこに行くの?」
「景山」
「はあ?だったら最初から景山行きに乗ればよかったじゃんよ〜」
「だって、この靴痛くてガマンできないんだもん」
「靴ぅ?」
ははあ・・・さっきバスの中で話してたのは、靴が合わずに痛いってことを見ず知らずの乗客相手に話してたんだな・・・?
おばちゃんの足元を見れば、若者が履くような、つま先のとがったヒールのブーツを履いているではないか。
ぐふふ・・・そりゃ、若者向けだよ。おばちゃんは3Eのズックじゃないとね。
おばちゃん、もしやオシャレなんかしてみたってか?

最初に景山に行くことにしたということだが、早くもおばちゃんのワガママ全開だ。
・・・ま、これくらいは想定内だけどね♪わたしたちはバスを乗り換えて景山に行くことになった。
乗り継ぎのバスはなかなかやってこず、寒い風の中待つこと15分。
ようやく乗り継いで景山でバスを下りた。
公園に入るのかと思えば、「お昼ご飯食べてから」だって言い出した・・・おいおいっ!
もう、おばちゃんのワガママから逃れられない・・・。
今日の私は完全に‘まな板の上の鯉’なのでした・・・(泣)

おばちゃんのワガママは料理の注文でも全開だった。まず、砂糖は使わないこと。
辛いのは使わないことなどなど・・・おばちゃんは食事に気をつけ健康管理しているようだ。
私は肉を食べないので(食べられないのではなく、数年前断ったのです)魚のスープを注文してくれた。
おばちゃんは他に豆腐料理と魚のスープ、焼きギョーザを注文した。
中国では水ギョーザが一般的だが、焼きギョーザもある。
でてきた豆腐料理は、水気のないカタイ豆腐を千切りにして野菜と炒めたものだった。
「日本にも豆腐はありますが、このような豆腐はありません」
焼きギョーザは特大だった!
魚のスープはとっても美味しかったが、魚は小さな骨があって食べるのに骨が折れた・・・
「骨があって気をつけないと・・・」
私は1997年の旅行で魚の骨が喉に刺さり死ぬ思いをしたことがある。
注意しないと命取りだ!
ところが、おばちゃんは馴れたもので器用に骨をよけて食べている。
おばちゃんは骨の少ない切り身をよそってくれたりしたが、やはり小骨があって油断ならなかった。
「めんどくさ〜い!」
「油断すると骨が刺さる〜」
などと言いながら、私たちは楽しく食事していた。
おばちゃんは「今は楽しみがなくって・・・」と私と過ごすことを心から喜んでくれているようだった。


左から豆腐料理、魚のスープ(とっても美味しかったけど骨がジャマ・・・)、焼きギョーザ


私は3年前ご飯をご馳走になったお返しにと、「ここは私が!」と言い張って力任せに伝票を奪いレジに向ったが、
突進してきたおばちゃんに突き飛ばされて、またも支払われてしまった・・・
「私はtuziと一緒にいれることが嬉しいんだ!
まだわからんか!だって・・・。
はいはい、わかったから、そんな怒んなくたって・・・。


景山からの眺め
やっと景山公園に入場。
おばちゃんは「tuzi!黙ってあっちに離れてなさいっ!」って。もしやズルしようってんですか?
中国の施設の入場料は外国人は料金が異なる。
おばちゃんは黙ってれば中国人に見える私をわざと遠ざけ、中国人料金で入場しようって企んだのか?
・・・いーや!入場料を支払ってくれたのです。
ちなみに、おばちゃんはパスを持っているので、施設もバスもただ乗りです。

東口から首尾よく入場した私たちは景山の頂上目指して登り始めました・・・第1の頂上に到着。
菩薩(?)があったはずなのですが、現在は座台だけが残されていました。
第2の頂上も同様でした。そして絶景の(と評判の)第3の頂上の到着。
ここからは紫禁城が一望の下です。でも私が期待したほど絶景ではありませんでした・・・。

記念撮影していると、突然シャッターが下りなくなってしまった。
「あれ?おかしいなあ・・・電池は換えたばかりだし」
きのうから調子がイマイチだったカメラは完全に動かなくなってしまいました。
何度押してもピクリともしない。
「えー、壊れちゃったのぉ?」(泣)
私の旅行は必ずといっていいほどカメラのトラブルがある。電池切れはいつものこと。
イタリアではマイカメラ1号機が壊れた・・・ギリシャでも最後の最後に電池切れを起こしてる。
今回はその教訓を踏まえて電池は余分に持ってきてるし、この2号機は買ってから10年と経っていない。
壊れるには早いのでは?
「・・・そ、そ、そんなあ」(泣)
私はこれから撮影できないことを思い愕然としてしまった。
写真が一枚もないってことになっちゃうよ〜・・・(泣)


景山から故宮を望む。これが最後の一枚になった・・・


景山を下りながら、北海公園を望んだ。白い仏塔が印象的だった。
「写真撮りたいなあ・・・」そう思ってもカメラは壊れてしまったのだから諦めるしかない(泣)
おばちゃんは「大丈夫、大丈夫。家に戻って私のカメラを貸してあげるから」と慰めてくれましたが、
ここでの写真がないのはやっぱり悲しいです・・・(泣)
かなり落ち込んだ私は「我没運気・・・」(中国語)と言うと「有運気!」(中国語)とおばちゃん。
「私と一緒だものラッキーでしょ!」
ま、それもそうだ。これがひとりだったらカメラの調達もできないのだし、ものは考えようだ。
運良く、おばちゃんと一緒の日にカメラが壊れてくれた・・・
そうだ!私はついていた!

景山公園をでてすぐ目の前にカメラ屋があった。
カメラ屋といっても観光地用のフィルムなどが置いてる店だ。
「ちょっと寄ってカメラ見てもらうから」と寄ることにした。
「シャッターが下りなくなっちゃったんだけど直らないかしら?」
点検していたお兄ちゃんは「これは直すのに1週間くらいかかる」と言う。費用は220元。
「そんなにぃ?」
中国ではカメラやフィルム、電池の類は日本より高い。
撮りっきりカメラも売ってるが、20枚撮りで48元(700円くらい)してしまう。
激安バカちょんカメラが99元(1500円くらい)で売っていたから、そっちのほうがお得だ。
私は明日からのことも考えてその99元のカメラを買ってしまおうと考えた。
おばちゃんに「私、これ買おうかな・・・」と話すと、
「いいから、私のカメラを使いなさい!」と却下されてしまった。

そんなわけでおばちゃんの家に向うことになった。
景山のバス停から行けるはずだし(景山からまっすぐ北上)、実際しばらく待っていたのに、
おばちゃんは待ちきれなくなったのかタクシーを止めて乗り込んでしまった。
「(まさか、今回の旅でタクシーに乗れるとは思ってもみなかったよ・・・)」


車窓から
タクシーは景山後ろの地安門内大街を北上し地安門外大街へ入り、そのまま鼓楼外大街をまっすぐ進んでいった。
地安門内大街は3年前に景山を目指して南下した通りだ。
景山にたどり着く途中で挫折して戻ってしまったが、こうしてみると、すぐ裏まで来ていたということがわかった。
地安門外大街を北上していると鼓楼が前方に見えてきた。
タクシーの運転手さんに「あれは鼓楼ですね?」と聞くと、「そうだ」と。
私は鼓楼界隈の風景が好きだ。
どっしり構えた鼓楼の付近には前海が広がり、たくさんの胡同が残っていて生活が丸見えだ。
道にはサンザシの串刺しが売っていたり、行商の声もたくさんきこえる・・・
散歩する人たちは愛鳥をとまらせたり、はと笛を楽しんだり、凧が空高く上がっていたり・・・

鐘楼の裏手には胡同が広がってるはず。(3年前鐘楼の上から眺めた(「旅行記」2002年北京))
タクシーがその鐘楼の裏手にさしかかった!
「!!」
「(ふ、ふ、ふーとんが・・・)」
胡同はありました。ええ、ありましたとも!
新築の胡同が!
新築したら‘胡同’って言わねえだろうがっ!
でも、そこはバンバン新しい胡同の建設ラッシュだったのでした・・・。
その先にはオリンピック会場が建設中で、「(へー、こんな街中でオリンピックするんだ・・・)」
道路も高速並に広く、インターチェンジのようなグルッとまわらないと行けないようなつくりだったりで。
・・・って、私が車窓から外を食い入るように眺めていると隣から
グオーッ・・グオーッ・・・・・
いびきだよ。おばちゃん爆睡してるし!
タクシーの運転手さんが「ここでいいのか?」って聞いてます。
「おばちゃん、起きて〜」
「あれ?えっと・・あ、あそこだから戻って!」
お、お、おばちゃん、戻るって・・・?
歩いても少しの距離なのにタクシーをバックさせたおばちゃん。
私、中国で車がバックするの初めて見ました・・・(驚)


劉苗とその彼氏
着いたのは息子さんの家だった。
おばちゃんには子供が二人います。リウナーとその弟さん。
私はその弟さんにも2年前に会っている。
ライトアップされた天安門まで亡くなった奥さんと弟さんと私の三人で歩いた、
忘れられない思い出があります。(「旅行記」2002年北京)

家(マンション)には若者が2人いました。弟さんの娘とその友だち(彼氏)です。
ふたりは遅いお昼ご飯を食べていた。
おばちゃんは着くなり寝室に直行し靴をかなぐり捨てて八つ当たりしてます(笑)
「んもうっ!痛いったらありゃしない!」(←靴を壁に向ってなぐりつけてる)
「そんな、靴に当たったって・・・この靴、今日初めて履いたの?」(←靴を拾って揃えてあげる私)
「うん・・・(涙)」(←ベッドに腰掛けて足をさすっている)
「このデザイン、若者向きだもの。先は尖ってるし、ヒールもあるし(笑)」
おばちゃんは太極拳で履いてるいつもの靴に履き替えた。
「あ〜、これが一番!(嬉)」
そう言うと、靴を脱いで昼寝するから、とベッドに横になってしまった。
「tuzi、あんたも昼寝しなさい!」
ぎょっ!出かけないんかいっ!夕方になっちゃうよ〜
「私は疲れてないからいいです。どうぞ休んでください」
そうして、おばちゃんは再びグオーッ・・グオーッ・・・・・
いびきを掻いて熟睡モードに入っていったのでした・・・

手持ちぶたさの私は孫のいるキッチンに行ってみた。
カメラが壊れてしまったことなど話していると、家族のアルバムを見せてくれた。
写真がないのが残念だが、カワイイふたりだった。性格も明るい!
明朗快活といった雰囲気のふたり。
「お名前は?」
「劉苗」
「誕生日は春?」
「はい」
「5月かな?」
「2月です」
ぎょっ。旧暦で2月は確かに春だ。だけど・・・?
「‘苗’だから5月頃かと思ったのよ・・・」
「‘苗’はママの姓です」
おおーっ!そうですか・・・ママの名字が名前になったのですね?」
「そうです」
「ステキですね。中国ではそういう名前を持つ人は他にもいますか?」
「はい、ふつうにあります」
苗(ミャオ)ちゃんのママは亡くなってしまった。私はお母さんの話題は避けたかった・・・。

「ミャオちゃんは何歳ですか?」
「18歳です」
「李君は?」(ミャオちゃんの彼氏)
「おなじです」
「ふたりは学生さんですか?」
「いいえ、働いています」
「そう。今日は早いのね?」
「今日は午前中でおわりです」

アルバムをめくりながら、ミャオちゃんの小さな頃の写真が出てくると李君が
「ミャオちゃん、可愛い♪」と言う。私から見てもミャオちゃんは可愛いよ♪誰に似たんだ?(笑)
結婚式の写真が出てきた。
「どなたの結婚式ですか?」
「おじいちゃん(父方の)の弟の娘さんです」
このおじいちゃんも亡くなったんだよな・・・私はおじいちゃんの話題も避けたかった・・・。
「どの人がおじいちゃん(父方の)の弟さんですか?」
「この人です」
「結婚したこの娘さんは、この時何歳でしたか?」
「21歳でした」
おおーっ!若いですねえ・・・結婚するのが早いですねえ」
「はい、早かったです」
「中国でも21歳で結婚するのは早いですか?」
「はい。日本ではだいたい何歳で結婚しますか?」
「そうねえ・・・27、28歳くらいかなあ。年々遅くなってきています」
「中国でも同じです」
結婚の話題も避けたいんだよな・・・。
「日本の結婚式はどのようですか?着替えたりしますか?」
ミャオちゃんは女の子らしく、お色直しに興味深々だ。
「初めは日本式着物です。この時は白い着物を着ます。
2着目は自分の好きな色の日本式着物を着ます。
3着目は西洋式ドレスです。ふつうは白いドレスを着ます。
4着目は自分の好きな色の西洋式ドレスに着替えます。でも回数は人それぞれです」
ミャオちゃんは李君と結婚するのかな・・・?
李君は優しくて(ほとんどの中国人男性は女性に優しい)ミャオちゃんの言いつけどおり、
果物を持ってきてくれたり、ジュース作ってくれたり・・・
まるでミャオちゃんの小間使いのようによく動いていた(笑)
こうして中国人女性は強く、逞しく成長していくのでしょう・・・。
やがてはリウナーのように・・・果てはおばちゃんのように・・・(笑)

アルバムの中のリウナーは写真を撮ってる毎に、髪型や体型が変わっている。
イメチェンが激しい奴だ・・・。
そんな中、おばちゃんの職場の写真が。3,4年前に退職した職場で写したものだ。
病院の前で白衣姿のおばちゃん。
「おばちゃんの仕事は何だったの?」
「医者です」
え?医者だったの?」
看護婦ではなく、はっきり医者と言った李君。
「はい」
「何科の?」
「産婦人科です」
「ふ〜ん・・・でもおばちゃん英語できないよ。英語ができなくても医者になれるの?」
「はい、医者になれます」
昔はなれたって話しかな・・・?
それにしても、あのワガママいっぱいのおばちゃんが医者だったなんて・・・
グオーッ・・むにゃむにゃ・・・ごにょごにょ・・・
大声で寝言まで言ってしまう、あのおばちゃんが医者だったなんて想像つかないんですけど!
きっと、豪快な産婦人科医だったに違いない・・・(怖っ)

「北京はどうですか?」
「変化が早いわね。どんどん新しくなってる」
ミャオちゃんは嬉しそうに
「綺麗になってるでしょう?2008年にはオリンピックがあるし♪」
私はこの‘綺麗に’に引っかかるものを感じずにはいられない。
それに‘綺麗に’なっていく状況を、私は良しとは考えていない。
だけど、ミャオちゃんは(外観が)綺麗になることで、中国の近代化をアピールできると考えているのかもしれない。
いや、ミャオちゃんに限らず、ほとんどの中国国民がこのように考えているのだろう。
リウナーだってそうだ。私はこのような急激な近代化をむしろ憂いているのだが・・・。
これは真の意味での近代化とは言えないと感じているのだ。
私は、そのことは伝えずに、曖昧に微笑んでこの話しを終えた。

・・・そうこうするうち、おばちゃんもお昼寝から目覚めて、やっと私にカメラを貸してくれた。
でも、まだ電池もフィルムも入っていない。出かける途中で調達するという。
私はもしや、私のカメラが気まぐれに直っててくれないかな、とミャオちゃんと李君を撮影しようと試みた。
(←往生際が悪い)が、やはりシャッターは下りなかった・・・(泣)
私の2号機は完全に壊れちゃったみたい・・・(泣)


私の2号機
おばちゃんのカメラを借りることになって、近くのショッピングセンターで電池とフィルムを入れてもらうことに。
そこのカメラ売り場には修理の専門家がいた。
修理カウンターに私のカメラを出して見てもらうことにした。
さすが専門家で、暗幕の中で撮りかけのフィルムを巻き戻し取り出した。
点検してもらったところ、シャッターへ行ってる細い線が磨耗して切れたのだろう、ということだった。
「直りますか?」
「直ります。3日預かって、120元くらいで直ります」ということだった。
今思えば置いてくればよかった・・・と悔やまれる・・・。
結局、私は預けずに壊れたカメラを持ち帰って来てしまったのだが・・・。
日本で修理に出すと、人件費だけで1万円はしちゃう。
だから結局、新しいカメラを買ってしまうのだ・・・。

そして、おばちゃんが貸してくれたカメラも借りたまま日本に持ち帰ってきた。
(翌日からひとりだったので返せなかった)
カメラの事では、おばちゃんには何から何まで大変な出費をさせてしまった。
日本に帰って、私は借りたカメラと、お礼にお金とお菓子を添えて郵送した。
おばちゃんは「このカメラはtuziにあげる」って言ってたけど「必ず送るから!」と私は約束したのだし。
焼き増しした写真は別の封書で郵送した。
「着いたら返事くださいね」と書き添えたのに、いまだに返事はない。(2005年5月10日現在)
送ってからひと月以上経つが、カメラとお金は無事ついただろうか・・・?
向こうからの手紙は届かないこともあるから、とにかくこっちから送った郵便物が、
おばちゃんの手元に着いてくれていればそれでいいのだが・・・。




3月4日(金)
4日目
「景山〜息子さんの家〜地壇〜娘さんの家」

 :pm
地壇
お昼寝からお目覚めになったおばちゃんと、やっと地壇公園に到着したのは3時過ぎだった。
今日は景山と地壇だけで他には行けそうにない・・・(泣)
「祭壇がみたいよ〜」
「祭壇?祭壇のことは‘方奉壇’(ふぁんふぉんたん)というのよ」
それを私のノートに書こうとして、おばちゃんはボールペンを取り出した。
「どれ、ノートに書いてあげる」
私がノートを差し出し、書こうとしたらそのボールペンからインクがでてこない。
イライラしたおばちゃんが、「・・・ん、ん、んもうっ!
と、ボールペンを公園の芝生に投げた!そのすぐ脇にゴミ箱があるってのに。
「ちょっとー!すぐ横にゴミ箱あるじゃんよ〜」
(↑日本語で言いながらボールペンを拾うtuzi)
「ぐはは・・・」
「ぐはは・・・じゃないから!ちゃんとしてよ!」
(↑日本語で)

ま、とにかく祭壇のことを中国語では‘方奉壇’(ふぁんふぉんたん)というらしい。
「ふぁんふぉんたん・・・ふぁんふぉんたん?・・・
あんぽんたん・・・ぐはは。
日本語の‘あんぽんたん’になんか発音が似てる・・・
ぐはは・・・」私はひとりでウケていた・・・。

ぶつぶつ日本語言って、ひとりで笑っている私をよそに、おばちゃんはおもむろにカシューナッツの袋を取り出した。
そして黙って私のポケットに袋から直にザーッ、とナッツを流し込んだ!
「うわっ!あんた何すんのよ!
まったく、油断も隙もあったもんじゃないわねっ!」
(↑日本語で)
「ほうら、こうやって剥くのよ!」
おばちゃんは私の驚きをものともせず、器用に殻を剥いて私の口にナッツを押し込んだ。
「はいはい、わかりました・・・もぐもぐ」
そして、おばちゃんはその殻を、またそこいらに捨てた!
「またー!殻はゴミ箱にいれんの!捨てちゃダメでしょ!」
(↑そう日本語で言いながら殻を拾うtuzi)
「ぐはは・・・」


祭壇
実は地壇公園には来たことがある。
あれは、2000年。母と一緒の団体旅行に来た時、昼食を地壇公園の中のレストランで食べた。
だが、その時は食事だけで公園内を見学しなかった。
というより、レストランに監禁状態で、ガイドさんのガードが堅く外のみやげ物店すら覗かせてもらえなかった。
だから、祭壇を見るのは今日が初めてでした。今日もメチャメチャ寒い!
「ちゃんむい・・・ちゃんむい・・・」
午後だからだろうか、観光客もいないし、園内を歩いている人も見当たらず、おばちゃんと私だけの貸しきり状態。
寒いけど、私はとっても嬉しかった!
貸しきり状態の園内を歩くのは実に清清しかった
そして広〜い祭壇は感動的だった。もちろん私たち以外誰もいなかった。
祭壇は四角形の2層構造。
天壇にみるプレートはなかったが、巨大香炉と線香立が設置されてある。
おばちゃんカメラマンは「ここに立て!」「ポーズをとれ!」と私を引き回す・・・
地壇だけで24枚も写真がある・・・(笑)

 地壇のファンフォンタン


写真もいいけど私は方角が気になっていた。
「えっと、どっちが北?・・・どの方角に祈願したんだ?南ですよね?・・・
てことはこっちが北で〜・・・」
「ほら、あそこに塔が立ってるでしょう?
今は工事中で(祭壇内もあちこちほっくリかえされていて工事中だった。寺院などは入れなかった)
石碑が取り払われているけど。あの角が北東よ!」
おおーっ!北東!北東といえば鬼門トンコウ!
日本では北東から邪気が入り込むとされていて、あのように石碑なりを建てて入ってこないように魔除けするんですよ」
「私はそんなの信じないね。
邪気なんてものはこの世にないのさ!」とおばちゃん。
「・・・そうですか。私は信じます。目に見えないものも存在していると考えてます」
「見えないんだから存在しないと同様よ」
確かに、そうとも言える。おばちゃんの考えは、いかにも医者らしかった。
実に西洋哲学的ではないか。
東洋哲学にはないものの考え方であり、おばちゃんは無神論者に近いのでは、と思った。
北京市は風水の街でしょう?
私はおばちゃんのドライなものの考え方を興味深く感じ、また感心してしまったのだった。
‘鬼門トンコウ’にせよ‘風水’にせよ‘易’‘陰陽五行’・・・すべて中国から渡来した考え方なのに、
当の中国人がその思想を持ち合わせていない点は面白いというか、驚きというか・・・。
複雑な思いだった。
しかもミャオちゃんのような18歳ではなく、おばちゃんだっただけに・・・。

私たちは園内をくまなく散策し、帰ることにした。
「えっと、北口から入ってきたんだから・・・こっちが西で・・・」
「tuzi!こっちは南でしょ!」
「えー、なんでー?だって、あっちが北だから・・・こっちは西でしょ?」
「ったく!こっちは南よ!」
結局、地元のおばちゃんに逆らった私がバカでした。
南って言われたら南なのに・・・通りかかった青年に「南だよ」と、あっさり結果を出されてしまって面目丸つぶれです・・・
ぐはは・・・tuzi、日本に帰ったら‘東西南北’‘右左’‘前後’
を勉強しなおさなきゃね♪」

「クーッ・・・」

あとで地図を見たら、私たちは西口から入って南口から出たのでした・・・。
あたしゃてっきり北口から入ったとばかり・・・。
私が方角にこだわったのは、当時、皇帝が祈願する際、どっちの方角に向って祈ったのか気になったからでした。
一般に‘北から入場して南に祈願する’わけですですが。
特に五穀豊穣の場合は太陽を崇めるわけだから、南に祈願したと考えたのですが、
ここ地壇では南に向って祈願したことが確認されました。
天壇の場合は南から入場して北に向って祈願している。
このふたつから、見えてくること。これはあくまで私の推察ではあるのですが、
‘神=皇帝’の図式だったのではないかと・・・そのことのアピールでもあったのではないかと・・・?
なぜなら、天壇と地壇、祈りの方角は紫禁城に向っているのです。
儀式において、皇帝の権力を誇示した、そう考えるのは私の考えすぎでしょうか・・・?


安定門東浜河ぶらぶら・・・どこに行くんじゃい!
もう夕方で薄暗くなってきた。今日の観光はここまで・・・景山と地壇だけで一日が終わってしまった。
南口から出ると、川沿いに夕暮れに美しい建物が。擁和宮だった。
擁和宮の裏になるわけだが、河川沿いの柳越しに見える擁和宮の美しさは圧巻だった!
おばちゃんとここで別れて、ホテルに帰ろうかと思ったが、連れだって川沿いを雑談しながら
ぶらぶら歩いているうちにリウナーの家に着いてしまった。

 リウナーの家は高層マンションです


リウナーはまだ帰っていなかった。
リウナーの息子が通う小学校が近くにある。そこに行って息子から鍵をもらうと言う。
下校時間を過ぎて遊んでいたヤンシュー(息子の名前)を校内放送で呼び出す。
やってきたヤンシューを見て「おおーっ!大きくなったねえ!ねえ、私のこと覚えてる?」
「うん」
ヤンシューの持ってた鍵でようやく家の中に。寒かったよ〜・・・

ヤンシューは帰るなりパソコンでゲームを始めた。
おばちゃんに「ママに電話して!」って言われても
「やだよ、おばあちゃんして!」とゲームに夢中だ。
「電話番号知らないから、ヤンシュー早くかけて!」って言われても、聞こえてるんだか
聞こえてないんだか、知らん顔だ。小学4年生、なまいき盛りだ(笑)
「リウナーの電話番号なら私が知ってる」って私が電話する始末だ。
リウナーが「子供は言うこと聞かないし!」って言っていたわけだ・・・。

リウナーが帰ってきた。
私はヤンシューに「ちょっと、パソコン貸して」とメールができないものか試してみた。
プロバイダーと契約してないからメールはできなかった。
せっかくパソコンがあるんだからE−mailできるといいのに。そう思って、私は名刺を出して
「ほら、ここの住所(メールアドレス)にこのソフトで文書を送れば、日本に数秒で届いちゃうのよ」
リウナーは事情が飲み込めないようで、私の言ってることがよく分かっていないようだった。
そこで、実際送ることはできないが、文書を書いてシュミレーションしてみることに。
‘Outlook Express’からメール作成にして、「ヤンシュー、私に手紙書いて♪」
「うん。・・・tuzi・・・アーイー・・・ニイハオ・・・」
アーイーは中国語で‘おばちゃん’という意味だ。ここで突っ込むのが日本流だが、ここは中国。
ヤンシューからみたら私は‘おばちゃん’・・・。
画面を覗き込んでるリウナーでさえ声をそろえて「・・・アーイー」と書くように促してるし・・・。
「・・・この文書を、送信!ってすれば、私のパソコンに瞬時に送られてきて、会話がやりとりできるのよ。
とっても便利よ。手紙だと一週間はかかるでしょ?
それが数秒でできちゃうのよ。ヤンシュー!E−mail勉強しなさいっ!
「イーメール?・・・中国語でなんて言うの?」
「中国語で?中国語では‘電子郵便’かな?それと、Internetはしてるの?」
「インターネット?」
「そう、・・・ほらこれよ。これだと私のサイトが誰でも世界中の人が見られるのよ。
ヤンシューだってもちろん見ることができる」
「おじさんが見てるから聞いてみるよ」
「そう、それがいいわ。E−mailは私にだけ届くし、Internetは誰でもいつでも見れる。わかった?」
「うん」
私は「飛ぶtuzi」にアクセスを試みたが回線が‘渋滞’してて結局繋がらなかった。
せっかくのパソコンがゲームだけのためにあるなんてもったいない話だよ・・・。


夕飯でもリウナーは・・・
リウナーの案内で近くの食堂に夕飯を食べにいく。
食事中もリウナーのお金の話はつづく。またかよ、って感じなんですけど・・・!
「日本で一年間生活するのにいくら必要か?」
一ヶ月から一年の話しになってるし!
生活費といっても一人暮らしと家族と同居でも違うし、賃貸の家に住んでいるのと持ち家でも大きく違ってくる・・・。
このことをリウナーに説明するのは難しい。「tuziの家には部屋がいくつあるの?」
リウナーは勝手に「日本はタタミ(畳)だから、何人でも泊まれる」と、どんどん具体的な移住の話しに持っていこうとしている。

リウナーが考えているのは、おばちゃんとふたりで食費と宿泊費を払って私の家に住もう!
もしくは日本に遊びに行こう!ということなのだと思う。
食費はいくらかかるか?とか、泊まれる部屋はあるか?と私にリサーチしているのだ。
「食事は中国のように外食はほとんどしません。家で作ります。材料も日本では高いですし・・・」
「ね、tuzi。この白菜は日本ではいくら?」
「1個、そうですねえ・・・10元(150円)てとこですかね」(あれ?そんなんじゃ買えないか?)
そこで私は付け足した。
「食費はおそらく中国の10倍ですし、材料だけでは食事は作れません。
ガス、水道、電気・・・そうでしょう?」
リウナーは大いに納得したようだ。しかし、息を吹き返したかのようにリウナーは訴える。
「でもさあ、一食30元でまかなえるんでしょう?」
確かに私はそんなことを言ったかもしれない。
一食30元(500円)くらいあればコンビニの弁当くらい買える。
しかし、そんなことで1年間の食事は続かない。
「だからさあ、それはね!朝ごはんにジェンピン、
昼飯もジェンピン、夕食もジェンピン。
365日毎食ジェンピン食べるってことなの!
最安値の食事ってことよ!(最便宜的)
そんなのつづけられないでしょ?分かったかー!」
「あはは・・・そういうことね♪」
やっと理解してもらえたようだ。
「tuziの家に泊めてくれるか?」が最初は一週間から始まり、いつの間にか話しが一年になっている。
リウナーはお金さえ出せば、私の家に泊まりこんでも迷惑ではないと考えている。
現に「tuziのパパとママに話してくれ」とまで言われてしまったし。
危ない危ない・・・リウナーは本気で日本に来る気でいるようだから!
具体的に話しを詰めていこうとしているから!こうなったらハッキリせねばならない。
「一週間くらいなら旅行だから構わないわよ。
だけど一年になったらそれは旅行といわないでしょ!
それは生活なの!
私の一存で泊められるものではないの!分かる?」
「あはは・・・」
この話は何としても断念してもらわねばならないし、
変な希望など持ってもらわれてはお互いに困る。ハッキリしておかねばならないところだ。

リウナーとおばちゃんは私を日本に帰したくない、と何度も言う。
「tuzi、このまま中国に住みなさい。そして私と一緒に毎朝太極拳習いましょう」と・・・。
ありがたい話であるし、それが可能なのが中国なのだろう。
そういう生活になっても迷惑ではないと考える人たちなのだ。
私にも同じように考えることができれば、おばちゃんとリウナーが日本に来て、
私の家に住むことを、心から喜んで歓迎できるだろう。
でも現実問題として中国人をトラブルなく受け入れることは難しい。たぶん私にはできない。
実現するにはそれなりの順序と周到な準備が必要だ。
・・・そのへんの慎重さがリウナーにはまったくないのだ。それとも私が慎重すぎるのか??

とにかく、このあとも日本の半端でない物価高の話しをしてリウナーを脅しておいた(笑)
日本での生活はあなたが考えているほど甘くはないのだ。
日本に限らず自国を離れて生活することの大変さをリウナーに理解できるとは思えないが・・・。
リウナーにしてみれば私は日本の友人で(そうです!リウナーは私の大事な友人ですよ)、
その私の所に寝泊りさえできればいい、そんな考えなのだろう。
そこが浅はかだ!ってんだよっ!(笑)


不思議なリウナー
お金の話しのついでに、今度は私が不思議に思っていることをリウナーに聞いてみた。
「私ね、瑠璃チャンで筆を買ったんだけど、120元もするのよ!」
「私だったら20元で買うわね!」
「だってさあ、120元、って値札が貼ってあるのよ?」
「それでも20元よ」
「なんで、なんでー?」
「中国人は20元で買えるのよ」
だから、そこの仕組みがよく分かんないのよね。
「はあ?だったらあの値札はなによ?」
「そんなの関係ないの」
「うっそー。120元よ?最高値よ?それが20元になるのぉ?」
「なるのよ(笑)」
「うげーっ」(←思わずのけぞるtuzi)
だから、どういう買い方してんだよ?何をどうしたら120元が20元になるっていうんだよ??
さっぱり分かりませんからー!一体、どういう買い方してんだ?
「だから、買う時は私に言えばいいのよ」
「そんなこと言ったってぇ〜(泣)買っちゃってからじゃ遅いじゃんか!」
私は頭が混乱してきた・・・

それにしてもリウナーの今の話は本当だろうか?
即座には信用できない話ではあるが、だからといってまったくのデマカセとも思えないし・・・。
分からん、まったく分からんっ!
聞けば聞くほど中国は怪しい国じゃ・・・


ヤンシューが巻いているのは彼の好物チンジャオロースー、北京ダックのように皮に巻いて食べます


食事中におばちゃんが・・・
そんなわけ分からん話でのけぞっている私の指に、突然おばちゃんは指輪をはめようとした!
てか、私の指が太くてはまらないのに、無理やり押し込もうとしてますからー!
「ちょ、ちょっと、あんた!びっくりしたぁー」
(↑日本語で)
おばちゃん特有の脈絡のない行動です。
「tuziにあげるっ!」
「そんなあ、もらえませんよー!」(焦焦!)
「tuziにあげるのっ!」
おばちゃん、寝起きの駄々っ子のようになってますから。
「こんな高価で大事なもの、もらえませんて!」(←指輪を外そうとするtuzi)
ところが、おばちゃんがムリクリ押し込んだものだから肉に食い込んで抜けない・・・ヤバイ!
ダメですって!(アセアセ・・・)もらえませんて!(抜けないよぅ・・・)
「いいから貰っときなさいよ。ママの気持ちなんだから」
「tuziにあげたいのよ!ねっ!(涙)」
「うっ・・・は、はい・・・。ありがとうございます。大事にします(涙)」
「私はね、tuzi。あなたの親ともお婆ちゃんとも思っているのよ」
(我想可tuzi是親愛朋友我老婆婆)
手を握られ熱く語られては、もはや指輪が抜けても返せないではないか・・・。


ヤンシューが玄米茶に・・・!
またも私は食い逃げ状態だ。
家に戻るとまた長くなるから、このままホテルに帰ろうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。
「tuzi、まだいいでしょう?」
この親子に逆らうのはムダというもの。私だっていい加減、学ぶというもの・・・。

家に戻ると、ヤンシューがおみやげであげた飴を差して「これ、おいしいね♪」といった。
気に入ってもらえたようで私も嬉しかった♪
そしてこれまたおみやげであげた玄米茶(抹茶入り)を出してきて、
「どうやって飲むの?どのくらい入れるの?」と聞いてきた。
「どれどれ、んじゃお茶でも淹れよっか・・・」ということになって、玄米茶の淹れ方をヤンシューに伝授することにした私・・・。
中国では急須を使わずに、直接コップにお茶葉を入れて熱湯を注ぐだけ。
でも日本茶は違うでしょう?ヤンシューと私は急須を持ってキッチンに行き、
「まずね、急須にこれくらいお茶葉を入れてね・・・そこにお湯を入れてね。
お湯を入れたらすぐに!コップに注ぐ!ね?お湯を入れたらすぐに!よ!わかった?」
「うん!」
中国茶のようにいつまでもお湯に浸していてはいけないし、何度も何度も茶気があるわけではない。
「こうやって、お湯をしっかり注いで、2回か3回したら、このお茶葉は捨てて、新しい葉に取り替えるのよ」
「うん、わかった!」
「よっしゃー!じゃ、みんなのコップ持ってきて!」
ヤンシューはやんちゃだけど、tuziアーイーの言うことは素直にきいた(笑)
「どれどれ・・・ヤンシューからね♪一番茶よ〜ん♪」
すると、ヤンシューが聞いた。
「ねえ、これといっしょに飲んでもいい?」
手にはおみやげの飴を持っていたから、私はてっきり‘飴をなめながらお茶を一緒に
飲んでもいいか?’とたずねられているのだと思い込んだ。
「もちろんよ!」と答えたとたん!
ヤンシューはキッチンの砂糖をドボドボ・・・玄米茶に入れた!
「ギャーッ!?」
想定外です!思いっきり想定外です!
「ヤンシュー!なんてことを!」
(↑日本語で)
私の大声にヤンシューはビクッ、とし、目をまん丸にして固まってしまった。
「玄米茶に砂糖入れるなんて!邪道よっ!」
(↑日本語で)
そして私はただただオロオロしてしまった・・・
ヤンシューが入れた砂糖は半端ではなかったのだ!大匙3杯はあった・・・。
ヤンシューはtuziアーイーの驚きが理解できず、また何を騒いでいるのか、
自分の何がいけなかったのか分からず、固まっていた・・・。
「日本茶には糖(砂糖や飴のこと)は入れないものなのよ・・・(涙)」

リビングにいたリウナーに砂糖が入らない正統派玄米茶を差し出した。
そのリウナーが飲んで一言。
「やっぱり砂糖が入ったほうが美味しいわよ♪」
ガーン!あんたらはいったいどういう味覚しとんのじゃ!
日本の‘わびさび’はどうしてくれるんじゃ?抹茶のほろ苦に甘さを見出し・・・云々・・・。
そんな屁理屈などはどこ吹く風で、ヤンシューは砂糖たっぷり玄米茶を飲んで喜んでいる。
「(あんたたちっていったい・・・ガックリ)」せっかくの玄米茶が砂糖味に・・・(泣)

中国茶にだって砂糖は入れないものと私は思いこんでいたが、あとで冷静になって考えてみれば紅茶に砂糖を入れてたっけ。
中国やタイでも日本飲料(日本茶などの)が発売されているそうだが、
やはり現地の人の舌に合わせてたっぷりの砂糖入りなのだそうだ。
リウナー親子も自分の好みに合わせて玄米茶を楽しんでいる。
日本式の飲み方にムリに合わせることなく、各自美味しいと思う飲み方で楽しむ・・・。
玄米茶に砂糖、という初めて見る光景に私は度肝を抜かれたが、これが中国流玄米茶の飲み方。
これもまた正統だね♪


おばちゃんの作戦
さあ、夜も遅い。そろそろ帰ろう。ところが、またもおばちゃんの‘ひき止め作戦’炸裂!
「tuzi、ここに寝なさい!」から始まり、
「んじゃ、字を書いて見せるから!」と、廊下に出て水筆で字を書いてみたり・・・
「tuziもなにか書きなさい!」
「では、おばさんに贈る言葉・・・‘千林如有喜’(林の如く喜びがたくさんありますように)」を書いた。
さらにおばちゃんは夜も遅く近所迷惑だろうに、「今習ってる剣をして見せるから!」って言いだす始末・・・。
「えーっ、もう遅いですから・・・お疲れでしょう?」
「じゃ、tuzi!あしたどこに行く?」
「いいから、いいから。あしたも私と一緒じゃおばちゃん疲れるわよ。私はひとりでも大丈夫よ」
「そんなこと言うな!私も一緒に行きたいよ〜」
「私、また北京に来ますから!」
「いつ来る?」
「(うっ!)それは分からないけど・・・」
「そうだ!2008年のオリンピックに来たらいいわよ。ね?そうしなさいよ」
「そうですね。その時は連絡します」
おばちゃんは剣を披露できなくて残念そうなので、武器だけ見せてもらうことにした。
わあ!いい剣ですねえー・・・これはおいくらでした?」
リウナー病がうつったか?(苦笑)
「20元」
これも20元かよ?それにしても安い。
私が買った50元は安いと思っていたが、そうでもなかったらしい。
分からん!中国の相場は、ほんとに分からん!
すると、おばちゃんが「この剣をtuziにあげる」と言い出した。
そんなつもりで褒めたんじゃないから!(焦)
そんなことしたら習えなくなるではないか。私はこれだけはもらえない、と必死で辞退した。
でも、おばちゃんは一歩もひかない。
「(どーしてこうガンコなのかねえ・・・)わかった、わかった。じゃあ、房を下さい」
剣穂のことである。下手に「いいですねえ」なんて言うと「欲しい」に聞こえちゃうのかなあ・・・?
「あげる!」って言われちゃうから困ったものだ・・・。
これも中国流言葉遣いなのかなぁ・・・?
分からん!中国人の考えることは、ほんとに分からん!


帰りのバスで・・・
夜の11時まで‘ひき止め作戦’でひっぱられてしまった。
「では、もう遅いですからそろそろ帰ります」
おばちゃんはホテルまで送るという。
「いいよう。バス停だけ教えてくれれば帰れるから」
「いいの、いいの。団結湖の家に帰るんだから」
「どうして?今晩はここに泊まったらいいじゃないの?」
そんな私の提案などおかまいなしでおばちゃんはもう歩き始めていた・・・。
私はリウナーとヤンシューにさよならして、おばちゃんのあとを追った。

ここのバス停も始発のようで、真っ暗なバスの中には発車を待つお客さんが既に乗っていた。
(中国のバスは車内のライトはつけない)
「・・・おばちゃん、このバスほんとに崇文門に行くの?」
団結湖の家に連れて行かれるのではないかと内心私はハラハラしていた・・・(笑)
「行く行く」
「ほんとぉ?」
なんだか知らないとこ走ってるよ・・・?
「・・・おばちゃん、このバスほんとに崇文門に行くの?」
呆れて答えないおばちゃんに代わって、前に座ってたお姉さんが答えてくれた。
「行くわよ」と。ホッ。やっと安心した・・・。

崇文門に着いて、おばちゃんはホテルの隣りのバス停から乗り換えた。
このバス停も始発なので、まだ出発しない。
私はおばちゃんを見送ろうと出発までバスの中にいた。
「おばちゃん、今日は本当にありがとう」
「あしたもあさっても一緒にいたかったんだけどねえ」
「うん、でも明日は少し遠くまで行くから。また来るから、それまで体に気をつけてね」
「私の健康管理は大丈夫よ。私よりtuziのほうこそ体に気をつけなさいよ!」
おばちゃんは最後に「tuziに、私の気持ちよ」と書いてくれた。

「 望 山 足包 死 馬 」
あなたには目指す山が見えている。
しかし思いのほか遠く、馬もみな疲れ果ていまだに到達できない。(たぶんそういう意味だと思う)
山を望んで馬を走らせれば馬を殺してしまう。ちょっと見には近いようでも行ってみれば遠い・・・

そうね、人生とはそうしたものなのでしょう。
おばちゃん、次回会う日までどうかお元気で。再見!



5日目



本日のお買い物
見学 景山公園入場はおばさんがどうにかしていた・・・
バスにも数回乗ったがおばさんがだしてくれた・・・
この日の出費は地壇入場の5元のみ
食事 昼食も夕食もごちそうになってしまった・・・