2005年北京

「旅の目的」

「tuzi now」(2月25日)にも書いたとおり、特別目的もないくせに、
そして収入もないくせに北京行きを決めてしまった・・・。
旅費も無駄遣いとしか思えないし、「あたしゃ、なにやってんだ(泣)」状態で、
自分で申し込んでおきながら自己嫌悪でいっぱいになっています・・・。
「ほんと、私ってバカだ(泣)」

でもま、後悔しても始まらない。
ものは考えようで、人様のお金を使って行くわけでなし‘行ける時に行っておこう’
と前向きに考えることにし、
気を取り直し、一応、予定を立てることにした。

予定といっても今回で5度目の北京で今更特別行きたいところもないし、
2年前のように待ち合わせしてる人もいないし、今回は太極拳に燃えてるわけでもない。
以前行ったのが2年前(「旅行記「2002年北京」)
思い出されるのは、バスの中からチラッとだけ見えた城壁跡だった。
「おっ!あれはなんだ?なんだ?」というまにバスは通り過ぎてしまった・・・。
その時の印象が私に深く残っている。
次の停留所がたしか‘北京駅’だったように記憶しているから、
いずれその近くにその城壁跡だか、城門跡だか分からないがあるはずだ。
「もう一度、じっくり見たい!」
私はそう思って簡単な北京の地図を広げた。
「・・・ふむ。バスの路線からすると・・・あれは・・・北京城東南楼か・・・??」

北京はその昔、といっても明清時代(ついこないだのこと)まで城壁に囲まれた街だった。
北京に限らず中国の街はどこでも城壁の中で生活していた。都ならなおさらの事だ。
北京は幾代にわたって都が置かれた街である。
その時代によって街は移動し(城が築かれる度に)、それによって城壁も移動している。
最終的には現在の紫禁城が都の中心なので、明清代の城壁が最後となる。
私が初めて北京を訪れたのが1994年。
その時、当時残っていた僅かな城壁を見ている。
しかし、2005年の現在、その城壁はすべて取り壊され跡形もない。
「毛が・・・(毛沢東のこと)」
革命改革の名の下、古きものはすべて取り壊したのだ。
城壁ばかりではない。太極拳さえできない状況だったのだ。
本来、紫禁城を取り囲んでいた城壁に皇城4門。
皇城の周囲5kmが内城で、その城壁に9門。
そして内城の外2km、8kmに外城の壁に7門。
このように、北京の街は3重の城壁で守られ、皇城4、内城9、外城7の門を持っていた。
これらの城壁は現在ない。
現存している門は3ヶ所のみ。(外城の永定門は復元されたそうで、これを入れれば4ヶ所)
「毛が・・・(毛沢東のこと)」

内城を取り壊した後は道路になった。それが環状2号線である。
地下には地下鉄も走っている。その駅名は以前の内城9の門名がついているが、門はないはず。
駅名に名残りを残すのみとなっている・・・はず。
その環状2号線を走るバスがある。
私は今度の旅で昔の城壁だったところを回って見たいと思う。
「本当に門はないのか?」
そして、現存している3ヶ所では降りてじっくり見たいと思う。
3ヶ所のうち1ヶ所は前門だから、これは2002年に見ている。
箭楼のカッコよさに感動したものだ。
だが登楼をしていないので、やはりじっくり見たいと思っている。
これで、ひとつは目的が出来た!
「城壁制覇の旅」だ!

さらに地図を見る。
私は古いものが好きだ。先入観なしに見ていて惹かれるのも、やはり古いもののようだ。
天壇に行った時の感動は忘れられない。北京は風水思想で守られた街でもあった。
内城の外、東西南北に天壇のような祭壇を作っている。
この祭壇は天壇ばかりでなくすべて公園として現存する。
北に地壇、南に天壇、東に日壇、西に月壇。
「よっしゃ!祭壇プレートがあるかどうかこの目で・・・」
天壇は見ているので、残り3ヶ所の祭壇プレートを確認する。
「祭壇制覇の旅」だ!
これが、ふたつめの目的。

みっつめの目的は、瑠璃チャン街に行くこと。
私はまだ一度も行ったことがないのです。
私は今年、長年の念願だった書道を再開しました。
筆は20年前に買ってもらったのがありましたのでそれを使ってみたのですが、
当時は素晴らしく書きやすい筆(母が最上の筆を買ってくれた。高価だった)だったのですが、
使っていないと油分がなくなってボサボサに・・・とても使えたものではなくなっていたのです。
そこで!
「瑠璃チャンで書道用品を買うぞー!」

名づけて「古き北京制覇の旅」
7泊8日、実質6日間で目的達成なるか?
・・・てか、tuzi、この2年で中国語すっかり忘れてますから!(←ぜんぜん勉強してない)
どーなることやら・・・。


「皇城四」
 天安門(大明門)
 地安門
 東安門
 西安門
「内九」
 東直門(崇仁門)
 西直門(和義門)
 朝陽門(斉化門)
 阜城門(平則門)
 崇文門(哈徳門)
 前門(正陽門)
 宣武門(順治門)
 徳勝門
 安定門
「外七」
 広渠門、広安門
 左安門、右安門
 東便門、西便門
 永定門

 ※(  )内は
   明代の旧名

現在の北京の中心部は明の永楽帝が造営して、清が改修した北京城。
明清時代の北京城は内城と外城からなる。内城は3重構造。

1番外側は東西7キロ、南北5キロの京城で、高さ10メートルのレンガ造りの城壁で囲まれ、
9つの城門(正陽門、宣武門、阜成門、西直門、徳勝門、安定門、東直門、朝陽門、崇文門)を持つ。

正門は正陽門、次は東西2.4キロ、南北2.8キロの赤塀で囲まれた皇城(紫禁城や北海、中南海、
景山などを含む)で、正門は南の天安門、北の地安門。

中心部が皇帝の住む宮城―紫禁城で、正門は午門。
3つの正門は南北の中軸線上に位置し、街は左右対称に造られた。
内城には皇帝一族や宮廷関係者、役人、文人などが居住し、多くの宮殿、宮廷庭園、寺院、
役所が建てられた。

1553年、人口の増大により、内城の南側に外城が造られた。
南北2キロ、東西7.8キロの長方形で7つの城門があり、正門は南の永定門。
外城には商人や手工業者、職人、芸人などが居住し、下町として栄えた。

1912年清朝滅亡後、街は徐々に改造され、中華人民共和国が成立後、内城、外城の城壁、
皇城の赤塀を取り払い、城門も正陽門とその箭楼、徳勝門の箭楼、東便門の箭楼以外は
すべて取り壊した。

現在、内城の城壁跡には環状2号道路が、その地下には環状地下鉄線が走る。天安門前には、
幅50−100メートル、長さ40キロの長安大街が東西を貫き、環状3号、4号道路が大きく渦を巻き、
街は外へと発展を続けている。

「皇城四」とは現在の大明門、地安門、東安門、西安門を指す。
文字どおり宮廷に出勤する役人たちの通用路であった。

「内九」
東直門 木材を運び込む門。東北から運び込まれる木材を運び込んだ。
     薪や炭を運ぶ車が絶えず往来していたことから、「薪の道」とも呼ばれていた。

西直門 水を運び込む門。北京の西の玉泉山より、皇帝の水を毎日運び込んでいた。
     主に水運のルートとして使われていた。毎朝、郊外の玉泉山から運ばれてきた水は、
     この門を経由して北京の街に供給されていたのである。

朝陽門 穀物を運び込む門。大運河を通って運び込まれた南方からの穀物などを運び込んだ。
     ここは穀物を輸送するルートだった。

阜成門 石炭を運び込む門。石炭の産地が北京の西・「門頭溝」だった。

崇文門 税関。かつてここに税関があった。酒を運ぶ道だった。
     往来にはあの白酒(高粱酒)の馥郁たる香りが満ち満ちていただろう。

正陽門 正門。皇帝が使う。また地方官僚たちが謁見のために北京を訪れたときにとおる。
     そして現在も北京を代表する繁華街としてその名を残す前門は、
     当時は正陽門と呼ばれており、紫禁城へと続く皇帝専用の御門として偉容を誇っていた。
     もちろん一般市民の通行は禁じられており、庶民にとっては正陽門から先は
     正に未知なる世界だったのである。
     現在は観光客にも開放されており、登楼して見渡す故宮と天安門広場の眺めは絶佳だ。

宣武門 死刑囚が刑場に向かう門。宣武門外の菜市口に刑場があった。
     華やかな前門とは対照的に、ここは死刑囚が茶市口という処刑場へと連行される際に
     通った「死の門」であった。

徳勝門 凱旋門。戦に勝った軍隊が凱旋したときに使った。いわゆる「軍の道」であった。
     当時の軍隊は安定門より戦地へ出征し、勝利を収めた部隊は、
     その名の通り徳勝門を経て凱旋帰京したのである。

安定門 し尿を運び出す門。城内住民のし尿を水路で運び出していた。


「外七」とは広渠門、広安門、左安門、右安門、東便門、西便門、永定門の総称で、
これらの門は庶民が商売などの目的で自由に往来することができた。

北京市は12区と6県からなり、広さは日本の四国に当たる。
中心部は東城区、西城区(旧内城)、宣武区、崇文区(旧外城)の4区で東京中心部と
ほぼ同面積、周辺には海淀区、石景山区、朝陽区、豊台区の4近郊区が広がり、
さらに外側に順義区、門頭溝区、通州区、房山区の4遠郊区、
その背後に、延慶県、密雲県、昌平県、大興県、平谷県、懐柔県が広がる。


 

鶴のマークの日本航空
私はこれまで10回以上の渡航回数があるが、まだ一度も日本航空に乗ったことがない。
「日本人として自国の航空会社に乗ったことがないなんて・・・」
「一生に一度でいいから乗ってみたいものだ」・・・そう思っていた。
毎度毎度、激安で行っているから、航空会社は指定できないタイプで申し込んでいる。
旅行社から「航空会社が決まりました」と連絡を受けて、中国の場合これまでだとパキスタン航空、
イラン航空、中国国際航空だった。
ま、私に航空会社のこだわりなどないから、どこに決まっても構わないのだが。
今回の飛行機チケットとホテルの予約も‘午後発、航空会社の指定なし’タイプで申し込んであった。

2月中旬、旅行社より電話。「飛行機の時間が決まりましたのでお知らせします」
「日本航空18時10分発、21時15分着。帰りは8時25分発、成田着12時40分となります」
「日本航空・・・ですか?(日本航空って鶴のマークの日本航空ですよね?)」
案の定、行きは遅く、帰りは早い。行きと帰りの日は移動だけで北京滞在とはいかない。
7泊8日だが、実質北京で動けるのは6日間ということになる。
予想通りの結果だ・・・致し方ない。
それにしても、鶴のマークの日本航空に生まれて初めて乗れる。(祝)


我忘了漢語・・・都忘了!
私はこの2年間、まったく中国語の勉強をしていない。もちろん、話す機会だってない。
忘れました。ものの見事に忘れました。
出発一週間前、慌てて100円ショップから‘日常中国語’‘トラベル中国語’を買ってきて聴いた。
せめて「写真を撮ってくれませんか?」くらい言えないことにゃ・・・。
なんせひとり旅なんですから、自分が写ってる写真が一枚もない、なんてことになりかねない。
移動だってバスを利用したいと考えているのに、中国語が話せないとなると、
暢気に「城壁がみたい〜♪」なんて言っていられなくなる。
城壁の‘壁’という字の中国語読みができましぇん。
祭壇プレートを中国語で何と言うか分かりましぇん。
書道用品の紙の単位や、筆の太さや毛の長さの説明がうまく説明できましぇん。
とにかく今となっては付け焼刃でいかんともしがたい。
城壁ならぬ‘言葉の壁’を抱え、tuziの不安は募る・・・。


 

2月28日(月)
「旅のはじまり」

ゆずスカイ
日本航空に乗った経験のある知人から「日本航空のスチュワーデスさんの笑みは、
自分だけに向けられてる気がしてくる」と漏れ聞いていた。
その独り占めのような笑みとはどんなものだろう??
待合ロビーには家族連れの騒がしい中国人のお客さんが占拠しており、それを避けるように
遠目に白人のお客さんが静かにクロスワードパズルなどして時間を潰している・・・。



搭乗が始まった。毎回不思議に思うのはエグゼクティブクラスのほとんどが白人客だということだ。
座席にはモニターがついており、私はスリッパに履き替え、さっそく番組表をチェック!
食事のメニューもチェック!‘日本航空オリジナルドリンク・ゆずスカイ’発見!
「お飲み物は何になさいますか?」
担当のスチュワーデスさんは中国人女性、陳さんだった。
「オリジナルジュース下さい」
「ゆずスカイでございますね?」
この、ゆずジュース、とっても美味しかった!
ゆずジュースは私のお気にいりとなり、帰りの機内でもオーダーすることになった。
「お食事は?」
「我要魚(うぉー、やお、ゆぅ)」
飛行時間の4時間は2本の映画を観、入国出国書や検疫書を書いたりするうちにほどなく到着。
笑顔はともかくコーヒーがおいしかったのには驚いた!
機内のコーヒーは不味いものと思い込んでいたが、そこはさすがに日本航空!
思いがけず美味しいコーヒーと映画で快適な空の旅だった。


哈徳門飯店
空港からホテルまで現地の送迎ガイドさんが迎えに来てくれている。
集合してみると3ヶ所のホテルに送ることになっていると言う。
最初のホテルに到着。私とご夫妻でいらっしゃってる3人がしばしバスの中で待つことに。
tuzi)「いつ日本にお戻りですか?」
ご夫妻)「8日です」
tuzi)「私より1日長いですね」
ご夫妻は昨年、私が今回泊まる哈徳門飯店にお泊りになったそうで、
今回はすぐ斜め向かいのノボテル新橋飯店にお泊りなのだそうだ。
私が2年前泊まった四合院のホテルにも以前は泊まったとかで話しが盛り上がった。
ご夫妻)「僕たちが泊まった時は表の工事の音がひどくてね。夜中もずっとだったんだ」
tuzi)「そうでしたか・・・私、tuziと申します。お時間ありましたら、どうぞ遊びに来てください」

今日到着した中で哈徳門飯店は私だけだった。
今回のお宿は崇文門にあるホテルで、崇文門の俗称が哈徳門であり、
それがそのままホテルの名前になっているのだ。
送迎ガイドさんと「それでは、7日の朝6時半にお迎えに参ります。おやすみなさい」と別れた。
やれやれ、長い一日が終わる・・・あしたからひとりだ。さ、風呂に入って寝るとするか。
ジャーーー
むむ・・・
こりゃこりゃ、久々にお目にかかりました。水の溜まらない浴槽!恐るべし哈徳門飯店。
こんな時は慌てず、騒がず。こんな些細なことで慌ててフロントに電話するようじゃシロウト。
栓がゆるんでいるのかも・・・クルクル回してみましょう。・・・ハイッ!このとおりバッチシ!
中国の水周り事情はちょっとしたことが原因なのです。


浴槽に足を伸ばして入れます。
だって429号室はダブルベッドなんだもん♪・・・に独りです(悲)


テレビ
浴槽にお湯を溜めている間にチャンネルチェック!
中国のテレビチャンネルはジャンル毎になっています。
例えば、音楽番組のチャンネルでは24時間音楽ばかりだし、子供向けチャンネルも専用にある。
株式チャンネルは24時間株の動向を流している、といった具合だ。
今回、私が見ていたのは3ヶ所。
朝はニュース。ここのチャンネルは画面に時計が表示されるので便利だし、
朝7時には天気予報を流していたから。
他の時間はcctv11の京劇をかけっぱなし。
インタビューや京劇教則になったら、スポーツ専門チャンネルcctv5に。
早朝6時には太極拳をかの呉阿敏先生が教えていました。
童顔でカワイかった阿敏先生も、よる年波には勝てず・・・

 呉阿敏先生の太極拳講座は早朝6時からよん(テレビ画面)

面白かったのは、ある日ランダムにチャンネルを回していたら「欽ちゃんの仮装大賞」に
そっくりの番組をみつけたこと。
欽ちゃんらしき人も中国語で話しているから、「パクリか・・・?」と思っていたが、
よっく見ると欽ちゃん本人だった。
中国語の吹き替えで欽ちゃんが中国語しゃべってる。
ところがその中国語を話してる欽ちゃんに、まるで違和感がない!
出場者も審査員もみーんな中国語だが、現地の番組といってもわからないほど違和感がないのだ。
これほど違和感ない吹き替えも珍しいのではないか?(笑)と思った。

さてさて、時差1時間の長い一日がおわります。疲れた〜、眠い〜〜、
明日はどんな一日になるのやら・・・



初日




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