太極拳in香港(3)
香港国際武術試合大会
2月22日(土) am10:00〜pm5:00
早すぎたのね・・・
フェリーで香港島に渡る。
セントラル行きとワンチャイ行きがある。ワンチャイの修頓室内体育館が私の会場だ。
ワンチャイでフェリーを降りてから、しばらく歩いた。
香港島はいつ来ても空気が悪い。
1時までに行けばよいのだが、余裕を持ってでてきたのでまだ11時だ。
ワンチャイの修頓室内体育館に到着した私は、IDカードを首から提げて入っていった。
ゲートがあって、トランシーバーを持った係員が待機していた。
部外者や見学者は入場禁止なのだ。
「まだ準備中です。誰もきていません」
早すぎたのは、わかってる。まだ開場してないから入れられないと言う。
「誰もきてないの?私だけ?でも疲れたから休ませてくれない?」
「早すぎるけど、じゃ中へどうぞ」
会場に入った私は観覧席にドッカと座った。ふ〜〜疲れた〜・・・
これがないと入場できない。部外者、見学者は入場禁止
筋肉痛
選手である私が会場に来ただけで疲れているには訳があった。
実は・・・昨日練習しすぎて、ヒドイ筋肉痛だったのだ!
朝起きたて「んっ?痛い・・・足が痛いヨ〜」
馴れないことはするものではない。
「前日の一夜漬けで試験会場に向い、睡魔に襲われて実力が発揮できない受験生」のようなものである。
だから言わんこっちゃない。前日はあがかずにストレッチくらいにしておくものだ・・・。
でも、まさかこんなことになるなんて経験がないことなので、これもひとつの勉強だ。
という訳で、私は歩くだけでも腿が痛くて、着いただけで疲労していたのだった。
会場は2面コート。
壁一面に「武」の文字。
「さすが国際大会、本格的だ・・・」
3人の係員でコートに両面テープを貼っていた。
私は第2コート・・・だから・・・こっちか・・・毛足の長いコートの方だ。
私ひとりだけの会場、誰もいないコート・・・
一番乗り
1時間ほど邪魔にならないように練習もしないで、ぼんやり会場準備を眺めていた。
そこへ・・・キンキラ、ハデハデのおばさま登場!
「へっ?」この人は選手なの?こんなキンキラ、ラメ入りで表演すんの?
ご夫婦で登場したおふたりは、入ってくるなりいきなりコートの上で練習を始めた!
「はあ?」いいの?そんなズカズカあがりこんで!
いいも、悪いもない、彼らは練習したと思ったら今度は記念撮影を始めた!
そして、その迫力に圧倒されている私を見つけるなり「シャッター押してくれる?」と近づいてきた。
「あなたは何に出場するの?」
「42式です」
「やって見せて♪」
私は足が痛くてそれどころではなかったが、コートに馴れておくいい機会だと思って
シューズを履いた。
この太極拳シューズを履くのは今回が初めて。おふたりを前に動く。
コートの毛足が長いのと、靴が大きいのと、筋肉痛でうまく踏ん張れない!
ヤバイ!
足をあげるとふらふらする。
かなり、ヤバイ!足が靴の中で遊んでしまう・・・。
うっ、マズイ!(冷汗)
終わると、おば様とおじ様は私に名刺を渡して言った。
「とても、いいわ♪」そんなはずない。
名刺を見たら、どちらも太極拳の先生だった。しかも、肩書きつきの。
「98年永年太極名家」おじ様は「98年永年太極大師」他に北京呉式総教授なんてのも・・・。
住所はシンセンだから香港から近い。
おば様はこれから24式に出場する。私はその後に同じコートで42式に出場だ。
おじ様は「なかなか、いい動きだ。リュイの時はこうした方がいい」と言って、腰に触らせた。
おじ様のリュイは腰を引いたとき、グーッと収まっていった・・・!
「オー!!スゲー!!」
これが「収まる」ということだったのだ!
言葉では聞いてても、実際触らなければわからない感触。これまた大きな収穫!
私は日ごろ「お尻が出てる」と言われている。
それすら「そんなつもりない!」と思っていたが、おじ様の腰を触ってやっとその意味がわかった!
「早起きは三文の得」とはこのこと。大収穫だった!
おじ様とおば様は私の写真を撮って去って行った・・・。
「私なんかの写真撮ってどうするんだ?」呆気にとられた私だった・・・。
おじ様のリュイはググーッと収まった!
キンキラおば様とtuzi
審判団入場!
早くからきているといろんな舞台裏光景が見られるものだ。
しばらくすると、御そろいの赤のブレザーにネクタイの審判団がドヤドヤと入ってきた。
20人から30人くらいの審判団は、まずはお決まりの写真の撮りあい。
次は入場行進の練習、整列の順番の確認。それから点数札のあげかたを練習した。
ひとしきり練習を済ませ、各コートの打ち合わせに入った。
「何ともあわただしい・・・」とぼんやり眺めていたら、ひとりの審判員に見覚えのある人が!
「あの、おばちゃんは・・・確か36式刀の・・・」
2002年北京から買ってきた36式刀VCDに出演の先生だった。
「間違いない。ちょっと老けたけど、あのおばちゃんだ!」
大先生をおばちゃん呼ばわりする私も私だが・・・
だって、そのおばちゃんは審判員を審判する立場にある、審判団副団長だったのだ!
私はカメラを手にふとどきにも、おばちゃんに接近を試みた。
「私は日本人です。あなたの36式刀のVCDを持っています。お目にかかれて光栄です。
写真を撮らせていただいてよろしいですか?」
「まあ、日本から?せっかくだからいっしょに撮りましょう♪」
そう言って、近くの人にカメラを渡してくれた。
馬春喜女史は「国家級裁判」の肩書きをお持ちで、河南省武術教授をされている。
私のジンクス「達人は一様に気さくだ」はここでも破られることはなかった。
(2002年北京参照)
馬春喜先生とtuzi。先生は肩に手を置いてくれている
いつのまに・・・
手弁当のパンを食べながら審判の打ち合わせ光景を見ていたら、1時になろうとしていた。
「さあて、着替えるかな」
トイレに向った。私は黒の服を持ってきていた。
トイレで着替えている間、なんだかガヤガヤいいだした。
「騒がしいな・・・」
戻ってみてビックリ!
着替えに行ってから10分も経っていないのに、既に会場は選手で埋め尽くされていた!
コートの上は優勝を狙う、目をギラギラさせた選手たちが跳んだり跳ねたり・・・。
少し説明しよう。
この大会は‘思源杯’争奪なのだ。
2月21日から27日までの日程で、3ヶ所を会場に夜の10時まで各種目が競われる。
国際大会だから、香港だけでなく中国全土からはもちろん、アジア、アメリカからの選手もいる。
私のように個人の参加も可能だが、ほとんどは各武術団体、武術学校の選手団で、
コーチが引率してきている。誰もが優勝狙いの戦場だ。
これから、5時まで女子の「長拳」「槍術」「棍術」と「24式」「42式」が2コートに
分かれて競われる。夜7時から10時までもまだまだ別の種目が続く。
こういった具合で3ヶ所で熱戦が繰り広げられているのだ。
明日からは朝の9時から夜の10時まで毎日競われる。
ひとりで2種目に参加できるが、ざっと数えただけでも名簿には2000人エントリーがある。
私の出場する42式は36人。年齢の別はない。いかに種目が多いかがわかろう。
私の前に座っていた人は、コートの具合を見て戻ってきてコーチと作戦を練っていた。
そんな世界である。
本物の競技太極拳とやらをとくと堪能させていただくとしよう!
プログラム 名簿
競技はじまる
大会のアナウンスは中国語だ。
審判団入場。
「24式に出場の選手は集まってください」
いよいよ競技が始まる。
いつのまにか第1コートと第2コートの札がかけかえられていた。
ぎょっ!
なんだよ〜。さっきの練習は無駄だになっちまったやんけ〜。
私はもうひとつのコート方は感触を確かめていなかったのだ・・・。
筋肉痛、靴のサイズが大きい、コートの感触を確かめていない・・・悲劇だ。
でも、やるしかない!
不運でも、その中でベストを尽くすしかない!
とにかく私以外の選手は柔軟体操と套路練習に余念がない。
私は足が痛くてそれどころではない・・・。
順番を待っている間、24式を終えたさっきのキンキラおば様が嬉しそうに突然抱きついてきた!
成績が良かったのだ。あの練習を見たら好成績は当然である。
さて、私のほうは・・・
「こんな足が天井にあがるような人たちと闘うのかよ・・・」
出場者の柔軟な体に恐れをなし、ただ呆然と眺めるだけの私だった。
「あなたも体ほぐしなさいよ」
「あ・・・いや・・・皆さんすごいですね」
「私なんか太極拳始めて2年よ。体硬くて・・・」と言うではないか!
「へっ?2年?その前は?」
「なにもしてないのよ」
たった2年で足が天井にあがるなんて、どんな訓練受けてきたんだ?どこが体硬いんだよっ!
私を見なさいよ。自慢じゃないが体硬いのだけは誰にも負けないぞ!
しかも太極拳始めて6年、あたしゃ、どんな訓練受けてきたんだ??
コートでは42式が始まった。2人か3人が同時に始める。
ぶつかりそうになってもおかまいなし。いかにも大陸的だ。
点数を聞いていると8.4pが平均のようだった。
私の目からも上手な人がいた。彼女は8.7pをたたきだした。
コーチと抱き合って喜ぶ彼女。きっと彼女が42式優勝だ。
個人で参加したピンクの表演服の彼女。彼女も足はあがらないが、とてもいい動きをしていた。
でも、点数は伸びない。足があがって、体が柔らかく、粘りがあって、コシのある動きならいいのか?
わからん・・・
いや、足があがるのは、できて当然なのだろう。あがらなければ減点なのかもしれない。
競技風景
笛が鳴った
私の番だ!
私といっしょの表演者は、恐ろしく足のあがる背のスラリと高い手足の長い女性だった。
私とは対極を成すデコボココンビ。これまた不運・・・
私は私の太極拳を尽くすだけだ!それしかないのだし!
始め!の合図は笛だ。主審は表演者の後ろにいる。
主審に背を向けて立つ。後ろから笛が鳴る。ピッ!
起勢。
緊張はない。私は前列なので、もうひとりの姿が見えない。ペースが乱されることもない。
問題の「分脚」
グラッ!あ〜あ・・・
もう一度「踏脚」
うっ、踏ん張れない・・・やっと立ち上がる。
グラグラッ!あ〜あ・・・
だめだこりゃ。(いかりや長介で)
他は大丈夫、いつもどおりにできた。
2度の「足上げ」失敗・・・。
自己ベストにほぼ遠かったのは悔やまれるが、これが今日の私の実力さ。
私の大会参加は終わった・・・。
私のゼッケン。これだけが記念として残った
西安からきた彼女
昨日練習しなければ、もう少しポイントが伸びたかもしれないのに・・・(悔)
なんて未練がましいことも言いたくなるが、どちらにしてもメダル圏外だ。
早々に着替えを済ませ、観覧席に戻って競技風景を見学していた。
前のほうでメダルをかけて記念撮影するおば様方がいた。賞状もある。
「あのおばちゃんたちがメダル?」
いったい、何の種目なんだ?・・・あれは賞状?それとも出場証明書?
不思議に感じた私は、たまたま前に座っていた、おねえちゃんに聞いてみた。
「ねえ、あれってメダルでしょ?3位までしか賞状ももらえないのかしら?」
「そうよ」かなり無愛想だ。
闘士むき出しのまなざしを向けていたから、相当しゃくに障っているに違いない。
おねえちゃんふたりのうちひとりは私と同じ42式に出た人だ。
年齢は20代後半といったところか。
ふたりにはコーチらしき人がついていない。
そして、私はひとりだし。自然、親しみを覚えた。
「ふたりだけで?どちらから?」
「西安よ」
私は持っていた飴をわけて、たわいない会話をはじめた。
「西安へは行ったことがあります。とてもいい街ですね」
「あなたは日本からひとりで?」
「はい。さっき42式でいっしょでしたよね。皆さん素晴らしい、私なんか足もあがんない」
「大丈夫よ。毎日毎日、圧腿すればあがるようになるわよ」
「私はこういう大きな競技大会へも初めてで。あなた方は?」
「何回も」
「小さい頃から?」
「そう。1年に1、2回は出てるかな」
貫禄があるのもやはり、幼い頃から訓練を積んでるからだろう。
西安的友人。偶然とはいえ、あなた方に会えてよかった!この後ふたりとも優勝メダルを手にした
この大会は、基本的にチームで大会本部へ申し込みをし、
その行動は大会の運営に従うといったもので、簡単に言えば「武術大会ツアー」だ。
私は違う。私は宿泊も会場への交通も全て自分でしなければならない。フリーの参加だ。
競技エントリープログラムによると、大会開催中、毎日のようにどこかで、
大先生方の表演が催される予定になっている。
今日22日は朝の7時から8時まで名家表演があったはずだし、
明日23日も場所は変わるが夜の7時30分から10時まで表演がある。そして25日、26日も・・・。
「今朝の表演は見ましたか?」
彼女たちはそんな表演会が予定されていることさえ知らないようだった。
私は、パンフを見せて(彼女たちも同じものを持っている)見たかどうか聞いた。
「いいえ、それは中止になりました」
「えーっ!そんなのありー?ならば、明日の表演会は見に行きますか?」
「行かなーい!
それにあたしたち出演するわけでもないし!」
へー、そんなもんなの?
「でもさあ、すごい先生方ばっかし出るんだよ。見たくないの?」
「うん。どうでもいい。興味ないもん」
この人たちって・・・競技人生まっしぐらやんけ。
お宝級の表演には興味を示さず。選手にはこういう人、多いのでしょうか?
日本人の私はこの機会を逃したら、目にすることができない表演ばかりですが、
中国に住んでる彼女たちにとっては、それほど珍しい表演ではないのかもしれません。
見飽きてるとか・・・?
「加油!」
「今日の競技は終わったの?」
「私はこれから‘鞭’に出るの」
私はその武器を見たことがない。
手裏剣のようなものが長い鎖でつながっていて、それをヒュンヒュン回すのだ!
「いっしょに行きましょう!」
私はいきがかり上、いっしょに応援することになった。
彼女たちと私の3人で、コートを移動して、ふたりで写真撮ったりビデオ回したり
写真送るから、と住所を書いてもらったりして。
表演も終わって
「42式の最終結果見に行きましょうか」
行ってみたが、まだ集計があがってきていなかった。
「ご飯食べに行こうか」という彼女たちは、夜の競技(7時から)が残っているようだ。
「私は1種目しか出ないので、帰ろうと思います」と言って彼女たちと別れた。
疲れがたまっていた。
結局、私は最終結果も見ずに大会会場をあとにした。pm5:00
(彼女たちは、後日談があるがそれは「沙田表演会」を参照)
何事も勉強
私がこの大会に参加しようと思ったのは、「自分を試してみたかった」からだ。
日本での偏見審査の実態を経験して、ならばいっそのこと「国際大会」だったら
公平に判断されるのでは、という思いからだった。
私は公平な場で「自分を試してみたかった」のだ。
その結果は・・・どこにでも「基準」は存在し、その判断基準は
日本でのものとそう大差ないという印象だった。
体の柔軟性。動作の粘り。そして資質。つまり美しさが競われるのだ。
競技は強さの表現ではなく、美の表現のようです。(強さを競うのは‘散手’という種目がある)
それを表現するために持って生まれた容姿は重要な意味を持ってくる。
だからといって、若ければいいってもんじゃない。競技は日本と違って年齢枠はない。
18歳も60歳も土俵は同じ。優勝者の顔ぶれを見ると30歳代が多いようだった。
美しいプラス味が勝敗を決める。
まあ、そんなゴタク並べるよりも、今回の大会参加で私は得るものが多かった。
「国際大会」レベルの競技を目の当たりにしたことで、私の目は一気に肥えた。
大先生方と身近に出会うことができ、私の動きに対して貴重な意見も聞けた。
中国における武術選手の意識がどのようなものであるか、
学校教育ではコーチの良し悪しで選手が大きく左右されること。などなど・・・。
棍の演技
鞭の演技
専門的なことを評論する気はないが、このようなことを私なりに肌で、空気で感じることができた。
これは受け売りではない、私の経験だ。
これから私が太極拳を続けていく上で大きく影響を与えていくであろう大会経験だった。
旅行記に戻る 太極拳(4)へ進む
vol.27
|