2002年 北京1

第4回 2002年2月28日〜3月6日

「北京の太極拳の友人を訪ねる旅」

新しいパソコン
私は仕事がら否応なくパソコンを使用しなければならない。
ずっと、ノート型を使ってきたが、怪しい動きをしているのをだましだまし使っていた。
(叩いたりなんかして)それに、インターネットのモデムもなくメールでのデータのやりとりもできず、
この高速時代にすっかり取り残されていたのだった。
私本人はそれで別に不便とも感じなかったが、仕事相手はそう思ってくれない。
「新しいパソコン買ったら?」「メールだとものの5分でデータのやりとりができるのに」と言われ続けていた。
CDが使えないのもネックだった。
・・・とまあ、ようやく重たい腰をあげて、2001年11月このデスクトップ型パソコンを購入。

メール(仕事で使う、データのやりとり)が目的だったのだが、「せっかくあるんだから」というわけで
インターネットで中国にアクセスしない方はない。中国語ソフトも苦労の末インストールした。
本場中国の太極拳サイトは豊富である。私は早速ふたつのサイトの拳友に登録した。
すると早速、メールをくれた人がいたのです・・・北京の人だった。
私は2月末に北京に行くことを決めていたので、とんとん拍子に話が進み、北京で会うことの段取りが決まった。
「インターネットって本当に世界が広がるんだな・・・」と実感。

日本では出会い系サイトでの事件も多くなっているので、一抹の不安があるにはあったが、
文面からしてそう悪そうな印象もないし、太極拳してる人なんだし(太極拳が好きな人に悪人はいない?)と、
心配よりも知り合えたことの喜びの方が勝っていた。
このことを友人に話したところ、「それは危険だ!それは間違いなく売り飛ばされるか、殺されるかのどちらかで、
中国では体のパーツごとバラバラにされて売られるんだ」と脅された。
「(売り飛ばされるって・・・無償の臓器提供かよ・・・)」
こうまで言われては、いくらノー天気な私でもビビる。
「私が予定の日に北京から帰ってこなかったら、警察に知らせて捜索してもらって!」と
犯行日時(北京での待ち合わせ時間と場所)を知らせておいた。
こうして、ひとり北京に発った私なのでした・・・

本来の目的
今回の旅行は2000年3月に北京に行った際、一緒に太極拳をした3人に会いに行くことが本来の目的だった。
名前も住所もわからない。だから行くしかないと、ずっと気になっていたのです。(2000年北京参照)
今回は旅行といっても、飛行機チケットと素泊まりのホテルだけで、観光は一切ありません。
これといった予定もなく、はじめから太極拳三昧で過ごそうと思っていたのです。
朝は2000年の人たちと、その後はインターネットの人と・・・理想的な気ままな太極拳三昧旅です。
北京の冬は寒いと聞いていたので、お土産に手袋を3人分色違いの‘おそろい’で用意した。
「これをはめて太極拳するぞー」と、早くも再会したい気持ちでいっぱいの私。
早いもので、あれから2年経ってしまった。これ以上延ばせない・・・

ファーストクラス
航空会社のカウンターでチェックインしようとしたら、エコノミーが満席なので、あと6時間待てば、
大連経由のファーストクラスを用意します、と勧められた。
ファーストクラスは魅力的だが6時間も待つなんてイヤだ!
「すぐ行きたいので・・・」と言って、予定の飛行機で行きたいと交渉した。
ところが、「お客様、大変申し訳ありません。やはりエコノミーが満席ですのでファーストで用意させていただきます。
よろしいですか?」と言うではないか。
よろしいですかもなにも、予定通り乗れて、しかもファーストなら言うことないじゃないの。
「・・・そうですか、構いませんけど」と、勿体つけて言うものの、内心ウハウハ状態だった。
ファーストクラスなんて初めてだし、一生乗れないと諦めていたシートである。
私は嬉しさのあまり母に電話したほどだった。「幸先いいぞー♪」

機内のファーストクラスは快適そのものだった。これじゃ、エコノミーに戻りたくないのも無理はない。
座席は広々、両サイド肘掛付、足置きがある。これは楽チン!
私は窓側だったのでおまけに袖棚まであった・・・スリッパまである。(エコノミー用に持参してきていた・・・)
食事は、陶器の食器、テーブルクロス付でフルコース。(トレーでの銀紙ホイルは見あたらない)
スチュワーデスさんも8人位に一人ついているので、そりゃもう至れり尽くせり・・・。
北京まではせいぜい5時間ほどだが、ヨーロッパまでともなれば10時間を越える飛行時間になる。
そうなると、だんぜん疲れに差が出るというもの。
ファーストは快適そのもの♪これならどこまでも行けそう・・・。

北京空港
北京空港は今回またもグレードアップしていた。
1994年の面影など、どこを探しても見つけられない。
迎えに来た現地旅行社の‘厳剛’さん(名字、名前ともに強そう・・・)は、大学を卒業したての青年。
どこをどうみても1994年、1997年のガイドさんとは、同じような青年でも似ても似つかない。
ソフトな面持ち、背が高く、スマートで利発そう、生活に困っていないせいか、おっとりした感じ。
何年か前に出会った中国の青年とは違うイメージが漂う。
少し前まではどこか、緊迫した緊張感を漂わせていたものである。
「これから、自分たちは中国を発展させて、豊かになるんだ!」という気迫が感じられた。
厳さんにはそういった、せっぱつまった上昇志向は感じられない。
中国の学生はとにかく勤勉だから、その頭脳で、こういった若者がリードして行くんだろう、とも感じたが・・・。
私が厳さんと会うのは出迎えてくれた今日と、最終日飛行場まで送ってくれる時だけ。
車の中で、雑談していたら、彼は南京生まれ。大学での卒論は「日本の戦国思想」だったそうで、
「好きな武将はだあれ?」という私の質問に、「武田信玄!」と答えた。
「日本には行ったことあるの?」「はい、九州に行きました」「武田信玄といえば長野県よ?」
「はい、でも次回は北海道に行きたいです」「なぜ?長野を飛ばして北海道?」「かにが・・・」
「へっ?」「蟹が食べたいです」と・・・。

「呂松園賓館」

 フロント。スタッフはみんなフランス語が堪能です
でも、日本語はできません。フロントには、はいつもお世話になったお姉さんもいたのだが、
制服(中国カラーの上着)を着ていないから、と隠れてしまった


今回のお宿は、ツアー中一番値段の安いところにした。どうせ私一人だし寝られればそれでいい。
ところが、これがすっごくよかった。なにがって、アンティーク調で、クラシック。木造・・・。
四合院(北京の昔の集合住宅)を改造したホテルです。
そのことは承知の上で申し込んだのだのだけれど、これほどまでに好いとは(驚!)
「いいじゃないー、あらあら・・・すてきー♪」と、部屋の写真を撮りまくる私でした・・・。

フロントのたたずまいからして素敵だった。アンティークで木の温もり・・・今までの中で一番好い。
私の部屋は、階段上がってすぐの501号室。全てが杢調。いいわあ♪

昔の住まいを改造して小さく区切ったらしく、部屋の中に不思議なドアがあった。
「物入れかな?」と開けてみたら、半畳ほどの空間、「やっぱり物入れだ・・・」
でも、その向こうにもまたドアがあった。二重になってるのだ。
「なんだろ?・・・開いた!えっ!そんな・・・!」あけてびっくり!
そこはなんと隣の部屋だったのだ!誰もいなかったが、スーツケースがふたつ置いてある・・・。
無用心だなあ・・・、いや待てよ?・・・てことは向こうの部屋からも、こっちに入って来れるじゃないか!?
しっかりカギを閉めたのは言うまでもありません・・・。
留守だったからよかったものの・・・鉢合わせじゃかなわないよ。

ベッドは正方形。板なので硬い、腰痛持ちの私にはうってつけだった。

 正方形のベッド(ダブル)「どっちが頭だ?」
綿の布団もついていて、寒がりの私にはありがたい・・・


 黒の電話もアンティーク。茶器もコップじゃないよ!

浴槽もいい!二段になっていて尻おきがあるのだ!こんなんはじめて見た
半分が深くなっているので、肩まで浸れる

 杢のドア、ガラス瓶に入ってるシャンプー類

 浴槽。片方深くなっている


お客は30人で満室になりそうな小さいホテルである。私以外に日本人はいなさそうだった。
フロントに下りていくと、いつもフランス語の会話が聞こえたので、ヨーロッパのお客さんが大半のようだ。
スタッフもみんな親切でしっかりしている。

 喫茶室


フロントに明日のモーニングコールを頼む。AM5:30起床だ。
明日会えるといいな・・・さあ、寝るか。


北京2につづく





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