2002年 北京最終回

3月6日(水)

「 飛ぶ tuzi 」誕生

いきなり事故かよ!
6時40分、ロビーで厳剛くんと待ち合わせ。客は私だけなので、乗用車でやってきていた。
大通りに出た所で、直進してきた三輪バイクと衝突した!
私の乗った乗用車は大通りに出る所でいったん停止し、徐行しながら左折したのだが、
向ってきた直進の三輪バイクがブレーキをかけるのが遅かったのか、ヨロヨロとしながら止まりきれずに接触したのだった。
だから、私の目にも「あらっ!ぶつかりそう・・・あーあー、やっぱり、ぶつかった・・・」と、スローモーションに見えたほどでした。

普通日本でなら、これは明らかに左折しようとした、私たちの車がいけないんですよね?
向こうは直進車なのだから・・・。
ところが、私たちの運転手はエライ権幕で車をおり、強気に詰め寄っていきます。
三輪バイクのおじさんは、ヨレヨレの憐れな感じで、平謝りするではありませんか。
この不思議な光景を、車に残っている厳剛くんに聞いてみました。
「どっちがいけないの?」「向こうですよ」「どうして?向こうは直進じゃないの?」
「そうです。普通の車なら、こっちが悪いんです。でも、あの三輪バイクは・・・えっと・・・」
「違法!」
「そうです!見てください、後ろに乗ってる人がいるでしょう?営業してるんですよ。あれは違法です」
見ると、サイドカーのように付けた車に通学の小学生が乗っています。
「それで、どうなるの?保険とかあるの?」
「ありますが、警察を呼んだら、向こうが尚更不利になるでしょう。だから、ここで示談になりますよ」
「ふーん」
「違法で営業していたことが警察に知れたら、それこそ大変ですよ。もう、仕事できないし」
「そうか・・・。で、いくらぐらいで示談になりそう?」
「そうですね・・バックミラーが飛んじゃって、へこんだくらいだから・・・200元てとこですかね」
私は、飛行機に間に合わないくらいのすったもんだになるかな?と少し期待もあったが、ものの5分で決着してしまった。
日本だったら、ちょっとかすっただけで、えらい騒ぎで、保険屋まで出てきて何ヶ月もかかってしまう。

中国住宅事情
いきなり事故ったので、車の中で「お金」のことになった。
中国は社会主義の国だから、自分の資産は持てない。いや、持てなかった。
土地も家も国家のもの。家は国家から支給されると。私はそう思っていた。
仕事だってみんな国営企業が原則のはずだ。いや、はずだった。

でも、最近は自分で会社を興す人も多いと聞いているし、(下海=シャアハイ)
自分の家を持つのが夢だ、という中国人が多くなったとも聞いていた。
「・・・と言うことは国家支給ではなくて、自分の家が持てるということなの?」と、不思議に思っていたのだ。
いい機会なので厳剛くんに聞いてみよう!
「ねえ、中国は社会主義だから、自分の家は持てないんでしょう?」
「持てます。中国は半社会主義、半資本主義です。だから、家は持てます。
ただ、土地は国家から借りなければなりません。えっと・・・」
「借地権!」
「それです!50年とか100年とか、借りるんです。土地を買うこともできますが、高くて買えません」
「えっ?いくら?」「北京は高いです。上海の倍はします。1平方m当たり1万元です」
「家賃はいくら?」「普通のマンションで2千元です。やはり、家を持つのは大変です」

「食事はどうしてるの?作るの?」(南京出身と聞いていたので、一人暮らしかな?と思って)
「僕は料理は苦手なんです。家ではカップラーメンしか作りません。お湯入れて終わり・・・
ほとんど外食です」
「そういえば、マクドナルドが増えたわよね。2年前はなかったのに・・・食べたことある?」
「あります。でも、高いです。15元します。日本はどうですか?」
「15元(200円近い)は高いわね。日本は・・・(私は食べたことがないので疎いが)
だいたい半分かなあ・・100円として、7元位かなあ?」
「中国でうどんが一杯3元として、5杯食べられますよ(笑)」
「そうよね。うどん5杯の方がよっぽどいいわよ(笑)」
「そうです、そうです・・・(笑)」

このホームページの誕生
今回ほどdeepな中国を体験した旅はなかった。中国の変化はとにかく早い!
今回見た光景は一年後、いや半年後には消えているかもしれない。
これから、何度だって中国にきつづける私にとって、今回見た光景は懐かしさを持ってみる光景となってしまうのだろう。
たくさんの人との出会いがあった。楽しかったあ!
全てが私のかけがえのない思い出であり、宝物です。北京の皆さん本当にありがとう!

この楽しかった北京の思い出を、日本でお土産話として「こんな旅だったんだよ♪」
と聞かせるには、あまりに長すぎる!語りつくせない!
そして、数えてみると今回で14回目の渡航になっていた・・・。
いくら楽しい思い出でも、悲しいかな、時間とともに知らず知らずのうちに風化していくもの。
「いっそのこと、今までの旅の思い出を、忘れないようにまとめておこう!
と、自分のために書き始めたのが、このホームページです。

写真がない頃は、「字ばっかりで読む気しない」(某S氏他多数)だの
「おもしろくない」(某M女史)だの、「長すぎる」(自評)だのボロかすに言われました。
こういう歯に衣着せぬ親しい友人たちは「私たちの助言があって・・・」と言いますが、
「そういうのは助言じゃなくて、暴言だよ!悪口雑言とも言う!」と憤慨しながらも、
心の中ではかなりへこんでいました・・・
中には、「人間には想像力というのがあるのだから写真がなくても負けるな!」(I県U氏)の激励、
「わかりやすい構成、癖のないさわやかな印象」(F県H子さん)とお褒めの言葉、
「おもしろいよー!共感の渦」(M県K美さん)もありました。読んでくださってありがとうございます。

旅の思い出を書くのは簡単です。
ノンフィクションなのですから、ありのまま思い出しながら書くだけですから。
あっというまに膨大なページ数になりました。そうこうするうち、パソコンが壊れて・・・。
それを機にスキャナを購入して、写真を入れ始めました。

何を言われても、このホームページを一番楽しんでいるのは私なのかもしれません。
「自己満足」大いに結構!誰のためでもない、自分のためのホームページなのですから・・・。
ついでに、この‘お土産話’と‘珍道中話’が誰かの役に立てれば言うことなしです!

帰国してすぐhp作りにとりかかり2002年3月20日から公開しました。
hp名称の「飛ぶ tuzi 」の由来も今回の旅行での楽しい思い出のひとこまから名づけたものです。
私の太極拳の世界も、インターネットを始めたことで、中国全土に広がりをみせています。
メールで話が聞けるだけでも勉強になったり、感心したり、刺激になったりするもの・・・。

インターネットはあくまでバーチャルの世界であり、いくら広がりをみせたところで、
実際にその土地の空気を吸わないことには世界は広がりません。
私の旅はその土地の空気を肌で感じ、自分の足で歩くことを基本としています。
このhpで使っている写真も、実は私が見たままを伝えられないものかもしれません。
リアルタイムの写真で、私が撮ったものにこだわってはいるものの、所詮‘きりとり’に過ぎない・・・。
空気や温度までは伝えきれません。それに空気や匂いまでを感じさせるほどの文才もありません。
それでも、このhpを読んで「行ってみたいなあ・・・と思ってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません・・・。


2002年北京完



目次





vol.52